餓鬼

 いつからか私はとても餓えています。もちろん、死に直面するような餓えではありません。突発的な餓えに襲われる、と言った方が正確かもしれません。しかし、それは餓えと呼ばずにはいられないような、凶暴な空腹なのです。もちろん、この日記を読み返してわかるように、食べ物には気をつかっています。この国の平均水準に及ばないのはもちろんですが、最低のレベルにあるわけでもありません。時には外食だってします。それなのに、餓えるのです。
 餓えると私は腹の上の方から下の方まで空っぽになったような感覚になり、胸のあたりは灼けるようです。首の後ろから顎にかけてかーっと熱くなり、手足の先は細かく震えます。頭の中は食べることで一杯です。そして必ず、最後に満腹したときのことを思い出します。
 それは今年の何月だったか、祖父の納骨式の後の会食です。和食御膳が出されました。ご飯にお刺身、天ぷら、ちょっと変わった煮物、卵豆腐、お吸い物、おつけ物などがありました。私は順繰りに食べていきました。高齡の親戚から「食べられないから」と回ってきたお刺身もいただきました。私は呆れるくらい早く食べた。箸は休まるところを知らない。やがて、大皿に鶏の唐揚げとサラダが出てきました。私の他に若い者もいたのですが、早くも「こんなに食べられるのか?」という表情です。私は構わず唐揚げを食べ、サラダを貪りました。そして、ここからが本番です。鰻重が運ばれてきたのです。唐揚げやサラダを頼んだ叔父が、「若い者には足りないだろう」というので、さらに鰻重を追加していたのです。私は待っていましたとばかりに、鰻重にがっつきました。カカカッと箸と器がぶつかる音がします。私は、間髪を入れずに箸を動かし続けます。時折、鰻重のセットになっている豆腐サラダも食べます。本来は鰻重は卵豆腐とのセットなのだけれど、御膳と重なるからとのことです。やがて私は鰻重を食べ終えました。本当に米一粒残さず食べました。器を下げにきたご主人が「これはきれいに食べて頂いて」と言いました。それでも私はまだ食べました。大皿に残っていた唐揚げの始末にかかりました。さすがに、胃が膨れているのがわかる。それでも私は食べました。私は食べることを義務のようにも感じていた。この世で与えられた一つの役割のような気がした。それほど私は餓えていた。そして、「鰻重が食べたいので誰か親戚が死なないか」と思うようになった。
 そのおぞましい思いは、ある種のブラック・ユーモアのように見えるかもしれない。しかし、私の中では確固たる誠実な観念なのです。ほとんど生理的反応であるような、直線的な観念なのです。繰り返しますが、私はそれほど酷い食生活をしているわけではない。それなのに、「鰻重のために誰か死なないか」と思うようになる。自分でも悪い冗談じゃないかと思う。しかし、空腹に襲われるたびに鰻重を思う。鰻重を思うと誰かの死を思う。この関連づけはよほど固く結ばれているように思える。そこに一匹の餓鬼がいる。私はどれだけ食べればその餓鬼がいなくなるのか、ちょっと想像がつかない。