シヤツターチヤンス

 今朝、俺は鞄の中に電氣カメラを入れて関内まで來た。何時でも撮影出來るやうにしておいて、道すがらに見た樣々なものどもを撮してやらうかなどと思つたが、そんなの柄ぢやねえやと、肩に掛けた鞄の中に入れつぱなしにしてやつた。
 するとどうだらう。俺は遠くの團地の窗から頗る附きの美女が、淡い黄色のパジヤマ姿でベランダに出てきて、洗濯物を取り込んだりしてやがる。歩道の上には思はず寫眞に収めたくなるやうな、素敵な子供の落書きがあつた。不動産屋の軒先には猫が陽射しを浴びて氣持ち良さそうに毛繕ひしてて、其の横を見たこともないやうな國産のえらい舊式の自動車が通り過ぎていつて、實に絵に爲りさうな鹽梅だ。元町への隧道の入口では、逆光を浴びたアベツクの寄り添ふ姿があつて、それを拔けると廢業したばかりの商店の窗硝子が叩き割られて、その缺片がキラキラと輝ひてゐた。何奴も此奴も寫眞に収めてくれと謂はんばかりぢやなひか。
 俺は何だか笑ひ出したくなるやうな心持ちなつた。俺は此迄も澤山のチヤンスを逃して來たのだし、此からも澤山のチヤンスを逃すだらう。其れならばいつその事、俺が見た美しい物、珍しい物、誰にも見せてやるものか。目の前に宇宙人が未知の圓盤飛行機で降り立ったって、寫眞になんか撮らないぞ。精々、下手糞なスケツチをしてやるさ。俺は俺が見たものを獨り占めする。そして俺は、過去の樣々な物共を抱へ混んで、其の渦卷に逆卷きになつて、誰も邪魔をせぬ処で獨りそいつ等を樂しんでやらうと思ふ。