『座頭市』北野武監督作品

 新選組始末記などいわゆる新選組関係のバイブルとも言える三部作の作者子母沢寛。『座頭市』の原作者でもあるとは、昨夜のテレビ放送前の解説で知ったのだから恥ずかしい限り。いや、時代小説は幕末関係と伝奇物の一部くらいしか読んではいないのだけれど。そういえば、北野武は『御法度』で土方歳三役をやっていたっけ。ドラマなど見てしまうと年齢の無理感は否めないが、あれはあれでありだと思う。
 さて、北野武版『座頭市』。ちょっと観たいなとは思いつつも、結局テレビ放送まで存在を忘れていた。そして、見終えた感想は「思ってたより骨太だったな」というもの。タップダンスだとかコントだとかを取り入れて〜という話だったので、もっとやりたい放題でバラバラなものかと思っていたのだ。ところが、予想以上に時代劇した時代劇、という印象だった。逆に、コントやタップのシーンが冗長だと思った。あと、槍を持って走り回ってるキチガイは、ダチョウの上島竜兵だと思いこんでいたのに、別人だったのに驚いた。
 ストーリーは、悪玉の親分が支配する宿場町に、座頭市と凄腕の浪人と曰くありげな美人姉妹が……というもの。それが観る側の予想を外さずに最後まで進行していく。ストーリーについては特にないな。一方で、演出はよかったな。飛び散る血は『キル・ビル』なんかよりよかったな。賭場で大暴れの時によく映っていたけれど、斬り口の両端が少し白く腫れるようになっている(俺は人を斬ったことはないけれど、市民プールで太股をスパーッと切ったことがある)のとか、そこら辺の切り口も見事だと思った。
 あとはキャラか。岸辺一徳は一回だけ子どもにおどけたけれど、あの雰囲気をもうちょっと出して欲しかったな。あと、ホーロー看板について熱く語るとか。そうだ、岸辺が雇った浪人は浅野忠信。こちらは、良く言えば複雑な内面、悪く言えばはっきりしない役柄。いろいろあるが、人斬りの狂気に陥っているのかいないのか、その一点の微妙さ。語られすぎない感がある。座頭市の内面があまり語られないのはいいとして、そういうのがもう一匹ではちょっとよくわからない。そこらあたり、俺がめくらなだけかもしれないが。
 そうだ、めくらと一回も言わなかったな。言葉狩りだなんだというだけで作品を語りたくはないけれど、ちょっと気になった。江戸時代の人が人権意識に配慮して「目が見えない人」と言いますか。「見たかい?」「元から見えません」のギャグや、あるいは陰間や乞食やキチガイみたいのまで描いておいて、この言葉はアウト。だからこそ気になる。勝新座頭市は二、三観た覚えがある。チンピラは「このどメクラが〜!」と言って斬りかかってきて、勝新はゴロゴロ転がったりして(なぜか転がる印象が強い)返り討ちにする。一度、NHKの衛星放送で観たけれど、それと思しき台詞は不自然に無音処理(この――――が〜!)されていて、それも酷いと思ったものだが。たけしはなんだかんだ言ってテレビの人間なのだし、最初から配慮したとしても不思議ではないけれど。
 話を元に戻そうって言っても、他にあんまり書くこともないか。全体的に面白かったし、わざわざテレビの前に座って損したとは思わない。これはこれでありなので、シリーズ化しても面白いかと思う。ただ、決定的なオチをやっちゃってるからなぁ。