この世の栄光の終わりに(新選組!の感想前日分の訂正)

 昨日、斉藤一をして‘新選組最後の頭’と書いたが、後から本をぱらぱらめくっていると、新選組最後の隊長として相馬主計(そうまかずえ)なる名前が出てきた。検索してみると、京都最終時期に隊に加わり、その後土方に従って各地を転戦。土方亡きあと、永井尚志から隊長を任命されたという。この人を取り上げた本もあるようだ(『新撰組隊長相馬主計の降伏』ASIN:4797438932)。全然知りませんでした、この相馬さん。維新後は龍馬暗殺の件で新島送り、赦免された後に自刃したとかしないとか。大河ドラマの方で名前は出てこないけれど、誰か隊員の一人に役は割り当てられてるんだろか。
 しかし、新選組の歴史を考えるに、函館で幕を閉じたというと、どうもしっくりこない。そりゃ土方もいたし、名前も残ってる。ただ、やはり別物という気がする。かといって、斉藤一終戦では中途半端。やはり近藤勇その人の死を以て新選組の終わりとすべきか。しかし、甲陽鎮撫隊の大久保大和と近藤さんが仰るわけだ。するとやはり、京を去るまでが新選組、なのか。かといって、源さんが死んだくらいで、古参はまだまだ健在だった。うーん。きっと、維新後も生き残る斉藤も相馬も、それぞれの心の中に「誠」の旗を持って生き続けたんだ。新選組は僕らの心の中に生き続けるんだ!……というのはちょっと打ち切り少年漫画みたいでつまらない。
 終わりついでにあまり関係のない話。鳥羽・伏見の戦いで歳三は「剣の時代の終わり」を認識する。刀や槍では鉄砲に勝てないと。まさに武器の価値観まで変化する維新の時代だ。
 が、ここで忘れちゃいけないのは織田信長。とっくの昔に鉄砲が刀を凌駕していたはずじゃないですか。種子島にたった一丁流れてきた銃が、最盛期には日本で世界の総合計の二倍生産されたとか(出典忘れ)。だいたい『座頭市』の悪党みたいなのだって、危なくなると短銃を手に取る。銃は剣よりも強し、これは自明の理。
 ではなぜ、幕末に新選組は‘剣客集団’として辣腕を振るえたか。それは徳川が鉄砲の力を恐れ、刀狩り以上に鉄砲を取り締まったから。そして、武士には「刀は侍の魂」と教え込み、刀に必要以上の価値を与えたと。その価値観が三百年続くと、銃が強いことをすっかり忘れ、もう一度「刀の時代は終わった」と再発見する。そりゃ信長当時の火器と幕末舶来の火器じゃ性能も何もかも違うだろうけど、ここらあたりの歴史の妙味は好きだなぁ。あと、この話も出典忘れ。たぶん司馬遼太郎だったと思う。