来たれ、汝、芸術の子ら

goldhead2004-12-03

 一昨日だったか、帰宅するのに乗った電車がピクチャートレイン美術館だったhttp://www.yomiuri.co.jp/pr/p-train/。これは障害のある子どもの生絵が、車内広告の部分にズラーッと並んでいるのだ。あいにく混雑時だったため、じっくりと見ることはできなかった。二駅だしね。
 そう、俺は「子どもの絵」が大好きだ。そこら辺の適当な美術館に並んでる絵画よりも、ずっと怪奇、奇天烈、奇想天外、思いもしない形、想像もつかない色づかい、信じられないくらい面白いやつが混じってる。
 しかし、子どもの絵が素晴らしいというと「子どもは純真だから素晴らしいとか、のびのび個性を育てましょうとか、そういうこと言いたいだけじゃないの?」と訝る方もいるかもしれない。しかし、俺は俺の眼に誓って言うが、面白いものは面白いのだ。それに、単に純真なだけじゃなく、「この子は何か深刻な虐待を受けているんじゃないか」と、こちらを不安の底に突き落とすような絵もある。そして、それもおもしろい絵なのだ、やっぱり。
 俺が見るに、そういう絵を描けるのは小学校の低学年までだ。それを過ぎると、上手いやつはイラスト的、教科書的に上手な絵、下手なやつはイラスト的、教科書的に下手になるだけだ。そして、わずかな例外が芸術家になる。ほとんどのやつの「子どもの絵」は幼くして死ぬ。俺は俺の「子どもの絵」が死んだ時を、はっきり覚えている。
 俺のそれは幼稚園の頃だった。その日は参観日で、たくさんの親が来ていた。お絵かきの時間だ。お題は「木」だった。俺は白い画用紙に、気持ちよく筆を走らせた。森をイメージしたのか、色んな色の緑色で、ぐしゃぐしゃと円を描いたり、塗りつぶしたり、それはとても気持ちがよかった。時間の終わり頃、友だちのお母さんが近くに来た。自分の子の絵について何か言い、そして、俺の絵を見た。一瞬、間をおいて「…森なのかしら、元気があっていいわねぇ」と言った。俺は、一瞬の間を見逃さなかった。俺は間違ったことをしたのか、と思った。そして、みんなの絵が教室の後ろに並んで貼られた。あそこまで形をなしていない緑色のぐしゃぐしゃは俺だけだった。「上手、上手」と誉められているのは、断面図みたいな幹があって、まわりにもこもこと緑の葉をつけたようなやつだ。俺はそこで求められているものを知った。そして、俺の「子どもの絵」は死んだのだ。
 「子どもの絵」は教育で伸ばしたり縮めたりできるようなものではない。それは、放っておくと勝手に死んでいくものだ。むしろ、評論家の呉智英あたりが言うように、教育は積極的に殺すべきかもしれない。親や教師、同級生の目。そういったものに踏んづけられたりしながら、なお生き続けるのが本物の才能だからだ。緑色のぐしゃぐしゃを描き続けられるやつだけが芸術家になる。
 その後、俺は小学校の間は絵の教室に通ったりもした。俺は絵が好きだった。けれど、緑のぐしゃぐしゃを描いたときの気持ちよさは二度と戻らなかったし、イラスト的、教科書的な巧さも身に付かなかった。ちなみに、その教室の先生は平山郁夫の弟子の日本画家だった。俺はたまに「俺は平山郁夫の孫弟子だぜ」と吹いたりする。