ジャガイモは主食たりうるか

 「ジャガイモは主食になる」という観念は、長らく自分の中に住み着いている。「それはあれか、金正日の政策から思いついたのか?」と言われるかもしれないが、金正日はおろか金日成よりさらに古く、満蒙開拓の頃にさかのぼらねばならない。
 もっとも、もちろん書物を通してだ。かつて実家で、戦前に発行された「満蒙における農業事情」というような本を見つけ、そこに書かれていたのだ。当時の農學博士が啓蒙書的に記したもので、当地の自然環境から稲作ではなく、ジャガイモが有効であると論じていた。まだ子どもだった(とはいえ総ルビながら舊字體の本だったから、中学か高校の頃だろう)私は、「おかずの野菜に過ぎないジャガイモが主食」、という発想にいたく驚いたのだ。
 よく考えれば、別に驚くべきことではない。どうも私も含め日本人は「主食(=ごはん)」を特別視しすぎるきらいがあるようだ。http://www.syokuryo.maff.go.jp/museum/qanda/report5.htmこのサイトでも指摘されているように、欧米人のパンが日本のお米にあたるわけでもないのだ。そして、今初めてそのサイトを見たが、ドイツの主食としてジャガイモが挙げられているではないですか。そう、私は昨日の晩飯にジャガイモを三つ食べた。しかし、気分は満洲ではなく、紛れもなくドイツだった。グーテンモルゲン、ミステル・ヤオイ
 しかし、言うなればお好み焼きが常食である私が、なぜジャガイモを主食に据えたか。それは、母親から現物の支給があったからである。そうでなくとも、安い折々に購入していたジャガイモがだぶついており、そこで農學博士が囁いたのだ。
 問題は「どう調理するか」という点であった。おかず的な味付け(肉じゃが風)などでは、いかにも「おかずだけ食べてる」という意識になってしまおう。そう、如何に知識で知ろうとも、やはりここでジャガイモはごはんの位置にあらねばならぬ。お米の国の人だもの。というわけで、後先を考えず四分したジャガイモを耐熱容器に入れ、電子レンジへ。そして、ひたひたの水が沸きたつのを眺め、私は閃いた。「カレールウを入れよう」。というわけで、冷蔵庫で長らく放置されていたカレールウのひとかけらを砕いて入れ、おまけにピーマン二個を切って投入。再びレンジへ。
 完成したものは、カレー風のジャガイモとピーマンである。それをもぐもぐ食べていると、ビールが欲しくなった。偉大なる税制の星、輝ける日本の酒文化の指導者である石弘光大先生様には悪いが、もちろん発泡酒なのだけど。というわけで、発泡酒とジャガイモ。これはドイツ気分でなくてなんであろう。そして私は満洲、蒙古、ドイツへと意識の翼を広げ、ユーラシア大陸の広さにただただ感じ入るばかりであった。