僕はシンクで考えた

 ここのところ心身共に疲れ気味なので、部屋の中や流し台が汚れ気味だ。こういうとき、僕はどうするか。体調が良くなるのを待ったりはしない。部屋の中や流し台が汚れ気味「なので」心身共に調子が良くないのだ、と考えるのだ。だから僕は昨夜、家に帰ったらまず流しに放置された食器を洗い始めた。
 これは、わざと因果関係を逆にした、一種の暗示みたいなものだ。この癖は何かメディア・リテラシーに関する新書サイズの本を一冊読んで、その時に啓示されたもの。曰く、社会調査や学者の研究発表には、因果関係と相関関係を取り違えたものや、原因と結果を取り違えた物が数多くある、と。例えば、深夜コンビニにたむろする学生は、学校の成績が悪いという研究発表があるとする。もしその学者が「深夜にも光を浴びるのは脳に悪い影響が〜」などと言っても、鵜呑みにしてはいけない。「深夜に外出しても平気な家庭環境にある生徒は、コンビニの蛍光灯に当たらなくても成績が低い傾向にある」という見方も出来るわけだ。そんなわけで、どこぞの学者の発表した学説は、とりあえずひっくり返してみる癖がついた。それを、無理矢理自室の清掃に持ち込んだわけである。
 もちろん、自室の汚さや流し台が汚れていることが、心身に悪影響を与えている可能性だってある。しかし、そんなことは素人に検証しようはないし、僕には「部屋が片づいて気分が良くなる」という結果が必要なのだ。ニューヨークだかの有名な事例に、「町中の落書きや割れガラスをキレイにしたら犯罪が減る」という例がある。これは犯罪者心理から説明のつく話だけれど、一見すると因果関係が逆じゃないかと思わせる話でもある。
 しかし、この「無理矢理逆に考えてみる」というのはなかなか面白い。例えば、「金持ちじゃないから贅沢ができないというが、贅沢をしないから金持ちじゃないのだ」とか。ここで、脳内演説会を始めよう。壇上に上がるのはKKCの会長みたいなのがいいな。客は主婦や年金生活者など。

「皆さん方はお金がないからあれも買えないこれもかえないと言いますがねぇ、それは全く違うんですよ。買わないから買えないだけなんですよ、これが。いつか買ってやろうってコツコツ貯め込んだからって、いざそうなって買えるようなもんじゃあないんです。見てくださいこの時計、スーツ、それに今日は三台目のベンツで来たんですがねぇ、金があったから買えたんじゃない、買ったから持ってる。バーンと買ってしまえばいいんです。買った分だけ金持ちになる。そうすると、使った分だけどっからか入ってくる。それが経済の常識、自然の摂理。そういうもんなんです。タンスに何千万あっても金持ちとは言わない。金持ちというのは、金を使ってナンボなんです。金が流れるほど経済も活性化する。これ、マクロだけじゃなくミクロでも同じ。いやそんな難しい話はいいんです。今日の帰りスーパーで、マクロじゃなくてマグロを買いなさい。それも半額シール貼ってあるようなやつじゃダメよ。一番高いトロをバーンと買ってごらんなさい。これでシャケの切り身がどれだけ買えるなんて考えちゃダメ。幾らシャケの切り身で切り詰めても、トロを毎日食べる日は来ない。大切なのは意識の改革。だからといってお父ちゃんがくわえて帰ってくる給料じゃ、最初のマグロも買えない? そこで私どもが手助けしようというわけですよ、奥さん!これをマルチだネズミ講だと一緒にしちゃいけない……」

 ……この先の詐欺話はアイディアが浮かばないので妄想終了。こんなことを考えていたら、流し自体もクレンザーでぴっかぴか。はたして僕の心身が健康に向かっているのかはよくわからない。そしてたまには魚も食べてみよう。