汨羅の渕に波騒ぐ

http://www.asahi.com/business/update/0317/099.html

ライブドアフジテレビジョン買収に向けて、レバレッジド・バイアウト(LBO)と呼ばれる手法を使って、3000億円の資金調達を検討していることが17日分かった。

 この記事は昨夜、自ニュFhttp://news.2-3-0.org/comment/comment_200503_287.php)で知った。それを見たときの感想は、ニュー作氏と同じく「噴いた」に近いものだったと思う。もちろん、「笑う」を意味する「噴く」ではない。驚きで体中の息という息が噴き出るような気になったのだ。これは、規模において限定された存在であるラジオ局の買収とも、その独特な資本関係を用いた間接支配とも全く違う、驚天動地の大買収だ。
 そう、驚天動地。天がどう驚くかは知らないけれど、地は滅多に動かない。地震はともかくとして、動かないから地なのだ。そして、俺の感覚では、1、3、4、6、8、10、12の各局は地の如き確固たる存在だったのである。地方によってその組み合わせはさまざまだろうけど、民放キー局、大メディアは「動かない」ものと思っていた。ところが、それも上場されている一企業に過ぎないんだなぁ。誰に株を買われても文句は言えないときている。
 しかし、考えてみれば似たような感覚を去年味わったばかりだった。それは、オリックス大阪近鉄の合併騷動である。俺が物心ついたのちも、チームのオーナーが代わったことは何度かあった。しかし、セリーグ六球団、パリーグ六球団、合計十二球団という構成は、まさに揺るぎない「地」であって、東から太陽が昇るくらい当たり前で恒常的なものという感覚であった。長い歴史で見れば〜などというのは関係ない、俺の人生の分だけ生きてきた、俺の実感としてだ。
 ああ、ライブドアの名が知れたのも、まさにその合併問題だった。どうやらライブドアはその名の通り、生きたドアとして次の時代の扉になっているようだ。そして、俺は、それがいいことだとも悪いことだとも断じようとは思わない。そんなのは、扉を通過して、次の時代になって振り返って、それでもわかったりわからなかったりするものだ。
 さて、こんな変革の時代に俺はどう生きるべきなのか。こちらについては明確だ。虫けらのように働いて働いてなんとか食べていくというだけ。食えなくなったら道ばたで冷たくなるだけ。せめてその日まで、わずかながらの喜びを見つけていくというだけ。