『義経』の感想

 なぜか先週、急に自分の中で面白くなってしまった『義経』。今週もやはり面白かった。そして、その理由がわかった。このドラマを見ているとき、自分の「三国志脳」が働くようになったのだ。それ以前は、去年の「新選組!脳」で見ていたから駄目だった。俺に沙摩柯や兀突骨を思い浮かばせ(先週より悪くなってるナ)、「三国志」スイッチを押してくれた長嶋一茂の功績は大である。
 さて、三国志フィルタを通して『義経』を見るとどうなるか。無論、義経劉備だ。奥州は蜀だ。弁慶は関羽もしくは張飛だ。平家は曹操の一族で、藤原秀衡劉璋か?劉備が景帝の末裔を自称していたの対し、義経はれっきとした御曹司だ。正真正銘の貴種流離譚だぜ。
 ……いや、別に個々の設定を比べてどうこうって話じゃないんだ。雰囲気の問題だな、雰囲気。危険を冒して渡辺いっけいを救いに行き、さらに秀衡の信頼度が上がり、その息子たちも信服させる、とか。佐藤兄弟との契りとかも。そのまま三国志にあっても良さそうなエピソードだ。というか、別に三国志にこだわらなくてもいいんだけど、俺がその手の話として一番最初に接したのが横山光輝三国志だったのだから仕方ない。考えてみれば、それ以後、日本の戦国時代の話なんかを読んでも、なんとなくベースに三国志を思い浮かべる癖があるような気がする。ただ、『新選組!』は違ったな。それはまた別に、司馬遼太郎あたりのベースがあるからだろう。どのようなジャンルにも、そういったベースがそれぞれの人の中にあるのかもしれない。それが必ずしも初めに接したものかどうかは分からないけれど。
 というわけで、奥州パートはじっくり見た。が、なぜか後半は気が抜けてしまった。こちらも宮廷の権力闘争であって、見どころではあるのだけれど。法皇の鳥にビビるシーンはよかったけど。地震テロップがいけなかったのか? それとも、未だに平家一族が渡哲也以外いまいち把握していないという点がいけないのか? あるいは、変わり目のうつぼのシーンでちょっと気が抜けたせいだろか? そうだ、なんかうつぼの存在は、現代ドラマ的(?)というか、なんというか、この大河世界から浮いているような。なんか一人で急に奥州まで来ちゃったりして、どうやって、みたいな。どうせ本来の大河路線なら、うつぼ要素をもっと減らしてもいいんじゃなかろうか。いや、それではうつぼの兄が出なくなるから困ってしまう。なかなかドラマというのも大変なものだ。いやはや。