『おじいさんの思い出』トルーマン・カポーティ/訳・村上春樹/銅版画・山本容子

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 おじいさんの思い出とは関係ない話からする。皆さんは本を読み終えたら、まず何を思うだろうか。終盤の大逆転に胸を震わせることもあるだろうし、心の中に何かが染みいるような気になることもあるだろう。あるいは、とんだヘボ試合を見せられたと思うかもしれない。果たして、私がこの『おじいさんの思い出』を読んだ第一感はなんであったか。それは「紙が厚かった」という六文字に尽きる。
 「これは、カポーティ最初期の短編で、長らく埋もれていたものである。それを村上春樹が訳し、山本容子が銅版画を添えたというのに、それはあんまりじゃないのか?」とおっしゃる方もあるかもしれない。しかし、厚いものは厚いのだ。少なくとも、このサイズでこんなに厚い紙を使った本は読んだことがない。
 ではなぜ、こんなに厚い紙が用いられたのか。もちろん、山本さんの銅版画を活かそうとか、素敵な本に仕上げようという装幀の意図もあったろう。しかし、それ以上に「もっとツカを!」という魂の叫びが聞こえてきたのだ、私には。なにせ、元は短編一本だけだ。凝ったレイアウトと贅沢な挿画で努力しようとも、その短さはいかんともしがたい。かといって、ペラペラに薄い単行本を出したところで、本屋で手にとって貰えるだろうか……。そこでこの厚紙が動員されたのに違いないのだ。
 「じゃあ、厚い紙が悪かった。そういう本なんだな」と思われた方、ちょっとお待ちいただきたい。その結果として、案外ナイスな本に仕上がっているのだ。私は山本容子の銅版画の、ごちゃごちゃしたところと余白のコントラストや構成が好きなのだが、本一冊がその趣を持っている、そんな感じなのだ。ただし、物理的に読みやすいかどうかといえば、ちょっと読みにくい。しかし、短編一本をここまでして一冊にしたという、実に贅沢な本なのだ。
 やっとここまで来て内容の話になる。私はカポーティの短編は『カポーティ短編集』(ASIN:4480032460)、『夜の樹』(ASIN:4102095055)などを読んだことがあり(収録作品がけっこう被ってるな)、これはもうなかなか好きなのだ。最初に短編集に手を出したのは、村上春樹や何かを辿ったわけでもなく、単に米国の種牡馬「カポウティ」(日本競馬ではこう表記される。日本での代表産駒はキングオブカポーテ)の名を本屋で見かけたからに過ぎなかった。が、実に幸運な出会いだと思ったほどだ。したがって、この『おじいさんの思い出』だって嫌いなわけじゃない。子どもの視線、子どもの語りで別れと旅が描かれ、紙の厚さにもかかわらず、ぐいぐいと没頭させられてしまう。これはイノセンスの方のカポーティだ。
 というわけで、何やら内容の話が少なくなったが、本は書かれている文字の内容のみではなく、それ自体が一個のオブジェであると再認識させられる一冊であった。なんか投げやりだな。まあいいか。