『ヴァリス』『聖なる侵入』フィリップ・K・ディック

「あんたが狂っているのかどうか、どこがおかしくなっているのかは知らんが、変人だよ」警官は考えこんでいるかのように、ゆっくりとうなずいた。「これは普通の狂気じゃない。俺がこれまで見たもの、聞いたものとはまるっきりちがう。あんたは宇宙全体について話している―もしもそれが可能なら、宇宙以上のことを。おれは感動したよ。ある意味では、おびえている……」(『聖なる侵入』)

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 『ヴァリス』は幾分前に、『聖なる侵入』は昨夜読み終えた。三部作と思っていたので、三冊読み終わったらと思っていたが、この二作で十分なような気もする。というか、三冊目はAmazonの古本でも千五百円以上出さねば買えないので見て見ぬふりをする。今日、伊勢佐木町で探したのもその三冊目だった。
 しかし、三冊目は今のところどうでもよろしい。目下のところ『聖なる侵入』だ。これは実にやっかいな作品だ。僕は、キリスト教の異端やらなにかについては澁澤龍彦や澁澤からリンクが貼られていた本を、ディック独自の世界観にはディックの作品、すなわち『ユービック』や『パーマー・エルドリッチ〜』を読んでいた。だから、この二冊もスーッと読むことができた。もちろん、スーッと読んだだけで、そのあるのかないのかもわからない深奥まで云々はできない。しかし、『ヴァリス』でホースラヴァー・ファットが失ったもの、『聖なる侵入』でハーブ・アシャーが得たもの。イマヌエルとジナのゲーム。全ては興奮のうちに読むことができた。そして、読み終わったあとの、世界に対して自分が感じる違和感。寂寥感、虚無感。僕がSFに求めるもの。宇宙そのものへの揺さぶり。もちろん、ディック晩年の作品を思想や狂気から読むことだってできるだろう。けれど僕は、そんな中でもディックが短編で見せるような切れ味を見せてくれた作品だと思う。ディック自身の苦悩や救いを折り込みつつ、無駄なまでの博学へのめり込みながら。脚の使いどころが難しい馬が、本当にわけのわからないレースをしてくれた。そんな風に思う。