ボクは何をしたらいい?

goldhead2005-04-14

 昨夜放送のトリビアの泉久米宏が出たり、ニャホニャホタマクロー氏が出たりしたが、なんといっても白眉はトリビアの種であった。すなわち、一匹狼が何を言っているかバウリンガルで調べるというネタである。場所はアメリカ。ふと、日本にオオカミは居ないのだな、と思う。それはそうと、オオカミを探し出すまで十日の取材は、何やら自然ドキュメンタリのよう。それでいてバウリンガルなのだからアホでいい。そして、いよいよ一匹狼。間を空けて群の後を追ってきたようだ。いったん引き返しそうになるも、再度登場。アメリカ人博士の遠吠えに、遠吠えで応じる。

ボクは何をしたらいい?

 タモリも司会の二人も言っていたが、何やら鳥肌物、ゾクッと来る答えであった。バウリンガルという要素を考慮しても、これは深淵な響きがある。胸に響く物がある。「何て言ったんだ?」と解析直後に言ったアメリカ人博士はどんな反応をしたんだろうか、それも気になる。
 それにしても動物の声だ。今や世界中の、あらゆる時代の、さまざまな言語は解読され、翻訳されうる。ただ、わからないのは動物の声であり、彼らの言葉だ。言語を有するのはただ人間のみである、とも言えるだろう。しかし、動物の発する声に感情を、意識の存在を感じ、そこに言葉の存在を感じるのは至極当然の発想のようにも思える。彼が何を感じ、思い、考えているのか。異星人が現れない限り、目下のところ究極の異文化交流だ。
 そして、私は彼らの言葉に興味を持つ一方で、畏れを抱く。覗いてはいけない穴を覗き込むような気になる。まがい物との話もあるが、手話で語るチンパンジーだったか、ゴリラだかの話を思い出す。彼女(だったと思う)に「死」について尋ねたら、「みんな暗いところへ行く」と答えたという。昨夜のオオカミの声に感じたのと同じく、ゾクッとしたものだ。物言わぬ命あるものたちの声。それに畏れを抱くのは、他の生き物たちを裏切った、霊長類の引け目なのか?
 あと、一編の詩を思い出した。田村隆一の本からの孫引きだ。
天野忍「声」

うさぎが
蟻の声を聞こうとして
あの大きな耳を
ぴったり 地面にくっつけた

二千年も
三千年も昔からの
はるかな世界からのように
その声はした


―暗い