無料レジ袋が禁じられる

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050518i501.htm

 スーパーなどから提げて帰った後は、すぐに捨ててしまいがちなレジ袋を減らそうと、環境省はレジ袋の無料配布を規制する方針を決めた。

 藤沢にオーケーというスーパーがある。オーケーは有史以来もっとも偉大な藤沢のディスカウントストアであった。休日になると、オーケーの地下駐車場への車列は、はるかベツレヘムまで続いた。
 オーケーは、レジ袋が有料であった。これに対してその地方の人々は不満を言ったであろうか。否、オーケーの安さの前には、レジ袋の数円に文句を言う者は無かった。そして、その安さの満喫を阻害するレジ袋代を払わないために、多くの者が買い物袋を持参した。この世の徳は義によって生ずるのではない、安さによって生ずる。
 そして私も、百円ショップで買った買い物袋を持参してレジに並んだ。オーケーを知る者は幸いである。しかし、私は湘南を放逐されて横浜に住む者である。この荒野の中、私は私の買い物袋を失ってしまった。毎日、私はレジ袋を受け取る毎日だ。
 しかし、はっきり言っておくが、私はスーパーの袋を捨てるという発想がない。私のデスクの一番下の引きだしは、数え切れないほどのレジ袋でひしめいている。私の部屋の一角には、巨大なレジ袋の中に数え切れないほどのレジ袋がつまっている。レジ袋を何も使わずに捨ててしまうくらいなら、買い物をしない方がましである。しかし、レジ袋を相手に姦淫してはならない。それは異教徒たちのよくない行いであり、いずれ裁きを受ける。その罪は、ソドムとゴモラの罪を足したより重い。
 私が何を言いたいのかまだわからないのか。私にもよくわからないのだから仕方ない。かさみゆくレジ袋を前に、スーパーにおける有料化は、レジ袋代が商品代に還元されるのであれば、誉むべきことのように思える。しかし、コンビニにおいてはその限りではない。その程度のことである。