ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ/横浜美術館

http://www.ntv.co.jp/louvre/
 土曜日に行ったのがこの企画展。気になったことなどメモしておく。

 一人の婦人がウジェーヌ・ドラクロワテンプル騎士団によるレベッカ略奪』を見ながら「歴史の知識とかあればもっといろいろわかるのにねぇ」と言った。それを聞いて俺は、まさしくその通りだと思った。「名画は前提知識など関係なく、見る人の胸を打つ」とか言うと聞こえはいいし、もちろんその通りの部分も少なからずあるのだけれど、「誰でも持っている者は更に与えられて豊かになるが、持っていない者は持っている者まで取り上げられる。」(マタイ25〜30)なのだ。より多くの知識や見識、理解力を持つ人間ほど、一つの芸術からより多くの物を得られる。ただ、それを望むかどうか、どこら辺で折り合いをつけるは人それぞれの趣味だ。俺は何の予習もしないで来たが、それなりに楽しめた。が、事前にフランス革命あたりを復習しておけば、より楽しめたのかもしれないとは思った。

 フランス革命あたりの時事絵画。『マラーの死』など。それを見ていて、「ミラボーやマラーは絵になるだろうけど、あいつは絵にならないな」と思った。あいつとは、この革命期をあちら側こちら側と寝返りながらも生き抜いた恐るべき政治家である。俺はその生涯を、真珠湾攻撃の報を聞いて西洋社会の終わりを予見して南米で自殺した歴史作家が描いた伝記で知った。俺は、その後、絵を見ながらもこの二人の名前を思い出すことに脳の一部を使い続けた。思いだしたのはコレクション展に移った後、ジョセフ・フーシュとステファン・ツヴァイクhttp://www.msz.co.jp/titles/04000_05999/ISBN4-622-04662-8.html)だった。

 場内の混み具合からはじめは後ろから見ようかとも思ったが、ディティールが面白いので我慢して最前列の緩い流れに乗った。一番素敵だったのはジョセフ=ニコラ・ロベール=フルーリ『聖バルテルミの虐殺―コンティ公の養育係ブリオンの殺害、1572年8月24日』に描かれた、いままさにブリオンを殺害せんと槍を振り下ろす兵士の腰の左に付けられた革製であろうポーチ。次に素敵だったのはオラース・ヴェルネ『クリシーバリケード―パリの防衛、1814年3月30日』に描かれた兵士の持つ銃のケースと腰にぶら下げた紋章入り、イニシャル入りのバッグ。あるいは、ジョセム・ボーム『アンリ三世の臨終』でかしずく騎士のブーツについた拍車(ここらあたり画集ではなくペラ紙の出品作品リストから書いているので、記憶間違いがあるかもしれない。しかし、多分ないと思う)。
 
 まるで動いているような絵があった。動きといっても、躍動的というのではなくて、ストーリーというか場面の動き。それはジョセフ=ニコラ・ロベール=フルーリ『聖バルテルミの虐殺―コンティ公の養育係ブリオンの殺害、1572年8月24日』の振り上げられた槍を見るブリオンが大きく目と口を開いて叫ぶコンティ公(?)を押しとどめる左手であり、その左手を掴む右奥の男であり、そういった流れだ。それはアントワーヌ=ジャン・グロ『サン=ドニ聖堂でフランソワ一世の出迎えを受けるカール五世』などもそうで、このきらびやかに切り抜かれた画面が、終わることなく動き続けているような錯覚を受けたものだ。
 
 この企画展のポスターなどに使われているのはジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル『トルコ風呂』。これはなかなか良いチョイスで、裸の多い企画展であった。『プシュケとアモル』あるいは『アモルとプシュケ』のように、そういう場面であるのはもちろん、『1720年にマルセイユを荒らしたペスト禍の際のベルゾンス猊下の献身』や、『怒りのメディア』でも意味無く(いや、あるんだろうけど)おっぱいぽろりしているのだ。おっぱいぽろりは好ましいところであるし、その形、色、ディティールについても文句はない。一方で文句があるのは男性器。俺はどんな素晴らしい体躯が描かれようと、どうもあのサザエの壷焼きからちゅるんと出てきたようなアレが気にくわない。気にくわないと言っても仕方ないが。

 もう一つ言うならば、女性器の方。一糸まとわぬヌードもどれも無毛で何も描かれていない。子どもがこれを見たら、こういうものと思ってしまう。しかし、男性器も無毛だし、ここら辺なにかあるのかと帰ってから『図説・20世紀の性表現』(
http://www.takarajimasha.co.jp/betaka_new/4796609172.html、日本の出版物にしては珍しく、モロ性器から少女ヌードまで拝めます。芸術だから?)にあたってみたが、何せ20世紀以前の性器話。しかし、ちょっと出てきたところによると、陰毛を描くべきか描かざるべきか、18性器否、18世紀の終わりあたりに論争があったようだ。参加したいな、その論争。ところで、和製HENTAIアニメやゲームを見て「日本人の女には性器が無いのか?」と疑問を持って、挙げ句の果てに自分で描き足すような西洋人の方々もいらっしゃったが、まあ、エロゲも美術も同じ道のりだ。

 常設展で面白い絵があった。渡辺幽香という人の『幼児図』だ。画面中央で石臼にヒモで繋がれた幼児が四つん這いになっており、右手でトンボを握りしめている。それでもって、何よりその幼児の顔がイイ。根本敬の言うところの「イイ顔」だ。絶対安部譲二の声で喋る、そんな感じ。そして、画面左上にかすかに見えるトンボは、潰されてトンボの魂だろうか。額も独楽や太鼓や福助などが配されており、ちょっとかわいい。これは何事かと部屋の片隅の目録を見るに、これは明治期の女性画家の作品。親兄弟や旦那も西洋画家、みたいな。いや、インパクトあったです。インパクトと言えば、何度見てもどの岸田劉生の絵も濃ゆい。泰西の画家の一番油っこいところと戦わせても、かなりイイ線行くんじゃないかと、いつも思ってしまう。

 お土産物に気合いが入ってた。ルーヴルともなれば、書き入れ時に違いあるまい。ただ、アートプリントだとかいう、本物に似せてキャンパスに印刷されたような複製画。数万円するのだけれど、これに目を向ける人は少なかった。値段が値段だけに、大した技術を用いているのだろうけれど、本物を見た後でこれはきついのかな、と思った。これは、さすがに。

 最後にアンケートを書いて箱に入れておいた。照明があまりよくなかったむねを書いた。常設展などは普通に見られるのに、ルーヴルのはやたら照り返しがきつかった。暗いと文句が出るのだろうか。

 あ、一番気に入った作品を書き忘れていた。ウジェーヌ・フロマンタン『草原で休息するアラブの騎士』。これはかなり地味で、<オリエンタリスム>のくくりの作品の中でも目立たないものだったけれど、とにかく画面中央の黒鹿毛の馬にしびれた。実に見事な立ち姿。他に馬作品はいくつかあって、馬の肖像画とも言えるような作品もあったけれど、なぜか遠くに描かれたこれが気に入ったな。うん。