ここで私が扱っているのは、真の意味での「計画」ではない。不定期収入が支配的な経済状態では、私が「計画」にしたがって経済生活を管理することは不可能だからだ。この項目はは、代数式も含まず、算術的事実も含んでいない。言いかえれば、それは私の活動のための一般プログラムであって、厳密に言えば「計画」ではない。
残念なことに、この計画の起草者である私は、定職を含む定期収入入手手段が固定化されていない生活における、日常生活の限界を考慮に入れていない。私は、明らかに97年における皐月賞の馬券収入によるパソコンの購入をモデルとみなしており、生活構造の根本的相違を考慮に入れることなく、それと同じ構想を用いている。その様な楽観的な展望の中に慰めを見出す一方で、私の生活の最も緊急の課題であるところの‘目的意識’を見出すところに、この「計画」の意義がある。
と、ここまで書いて面倒になったから簡単に書けば、「パソコンが欲しい+いい加減VHSのビデオは嫌だ→チューナー付きパソコンが必要→ヤマダ電機のチラシによれば二十万ほど必要→金は馬券で儲けるしかない→払い戻しが二十万になるような馬券購入を心がける→金が入ったら躊躇せず購入(ネット環境については先送り)→向こう三年くらいの間に達成したい」ということになる。三年後にまともに物食う生活をしている可能性が高いとは言えないのだが。
……この「計画」の達成により、私の暗黒と恐怖と卑劣の日々に終止符を打つ。この試練的局面、そして樣々な打撃、厄災、裏切りを打破するには、鋼の闘志と不滅の精神が必要である。しかし、私は誓うのだ。貧困の克服! デジタル・ディバイドへの勝利! 全ては競馬の門を叩けば叶えられるのだと! Ура!