bowling for IQ60

goldhead2005-06-29

 ここのところ暇つぶしに性格判断だのなんだのをネットでやっているが、その中にIQテストがあった。いくつかやってみたところ、どうも俺のIQは60〜90程度で、俺のボウリングの平均スコアと合致することがわかった。俺は何とはなしに世間の人様と同じくらい、いや、少しばかり賢いのではないかという、おそらく多くの人様が持つようなつまらない自負もある。しかし、「あなたは肉体労働者向きです」と判定されてしまうと、何というか実にスッキリした。そうか、実に納得できる値じゃないか、と。
 IQ60といえば、一般平均から四割減である。スーパーで汁びたしになった刺身のような存在である。だから、汁びたしの刺身を買うか買わぬか悩んだ末に、更に安い汁びたしの切り身を買うような生活に身を置いている。それが当たり前なのだ。決して、お高くとまっていた俺が現実に気づいていたのではない。「とても居心地がいいけれど、これでいいのかなぁ」というわずかにくすぶりに、「これでいいんだ」と水を注いでくれたというだけなのだ、IQテストが。
 そもそも、こうして毎日餓えくらいの飯を食い、仕事をサボってネットをして、週末には競馬なんぞにうつつを抜かすのだから、これは相当に恵まれている。俺は居るべきところにいて、かなり恵まれている。俺は満ち足りていて、何も望まない。問題なのはこの安穏とした現実がかなり失われやすいものだと知っていることくらいだ。満ち足りているものが失われる恐怖は、満ち足りていないよりも恐ろしいかもしれない。俺はこのクラスで頭打ちになって廃馬になるのはゴメンだが、万が一昇級して上のクラスで頭打ちなるのはもっとゴメンだ。
 俺は<希望格差社会>なんて難しい言葉はよくわからないけれど、俺は俺に折り合いがついている。だいたいIQテストなんてしなくたって、三歳の頃には気づいていたぜ。教育や社会は子どもに火を付けることばかりしよう、それでよいところを伸ばそうとするけれど、本当は水が必要なんじゃないか。水を注いでも、燃える奴は燃える。火種もいくらだって転がっている。彼らが牽引する。それでいいじゃないか。