無駄に消費された奇跡的な再会

 昨夜は電車で帰宅した。エスカレーターを登ると、ちょうどホームに電車が入ってくるところで、少し前の方に乗るはめになってしまった(山手の出口は最後方のみなので)。そして、電車は石川町駅へ滑り込み、一人の男性が携帯の画面に夢中になりながら、目の前のドアから乗り込んできた。それを見て俺は思わず腰を抜かしそうになった。朝、同じ車両に乗り合わせた人だったからだ。
 何も俺は同じ車両の客の顔を覚えてしまう特殊記憶の人ではない。その若い男性の持ち物が印象に残ったからだ。それは、何かのブランド物であろうカバンなのだけれど、どう見ても女性物だったのだ。茶髪で背も高く、身につけている服装やアクセサリーも充分おしゃれと言っていい人だったのだけれど、そのカバンだけが妙に気になったのだ。最近の流行なのだろうか? などなど。それが、関内で降りて、しばらく同じ方向にたまたま歩いたのだから、記憶にも残る。
 しかし、何という偶然か。一日に何十本もの電車が走り、数え切れないほどのドアがある。ある誰かと偶然同じ電車の車両に乗り合わせるだけでも相当な偶然なのに、同じ日にもう一度出会うのだ。まさに針の穴を通すかごとき奇跡。まさに運命といってもいいだろう。
 ところが当然の話ながら、ただそれで終わりだ。何のドラマも始まるわけでもない。いや、男相手に始まっても困るが。とにかく、俺は山手で降りて、彼は電車に乗ってどこかへ帰った。ただ、それだけだ。壮大な偶然がもたらしたのは、たんなる偶然。なんだこの奇跡の無駄づかい。この運を馬券か宝くじに使えなかったものなのか。天上で無為に回転する運命の車輪を呪いたくもなるというものである。