『にんじん』ジュール・ルナール/窪田般弥訳

goldhead2005-08-04

ASIN:4042214010
 ぼくはルナールの『にんじん』の名を、『一億三千万人のための小説教室』(ASIN:40043078649)の中で発見する。高橋源一郎は、ルナールが小説を「つかまえた」瞬間のことを描いてみせる。人の家で『にんじん』を見つけたぼくは、断りもせずにそれを借りる。
 ―とんでもない小説だな、これは!
 ぼくは『にんじん』にすっかり打ちのめされる。ねっころがって足をばたばたさせたり、「にんじん」の残酷さにおえっとなったりする。ぼくは薄っぺらいこの本を読み終えるのが惜しくて、読みさしにして放ってしまう。まるでそこに『にんじん』なんてなかったのように。
 世の中の人が『にんじん』についてあれやこれや言う。ある人は「にんじん」の悲劇的な境遇を嘆く。あるいは、親子愛をむりやり見出したりする。また、ある人は母親と「にんじん」との関係を、心理学ってやつで解こうとする。何か違う、とぼくは思う。なにか、そんなものじゃないんだ、と。
 ―ぼくはいくら考えてもうまく『にんじん』を説明できないので、あきらめて放り出してしまう。ただ、宗左近先生が解説で「人々の見すごしている、あるいは見えないでいる、そのドラマを見ぬくルナールの眼力の強さが、異常なだけだ」って書いているけど、「眼力」が「見ぬく」なんて客観的なものじゃないんだ、これは。だから、聖書やSFと同じように、この本の中には人間全部のことが書かれているのさ、と僕は思う。