『ポスト・オフィス』チャールズ・ブコウスキー/坂口緑訳

ASIN:4054006191

合衆国郵政省 カリフォルニア州ロサンゼルス

郵政省長官 一九七〇年一月一日付

文書 第七四二号
 郵便職員は、長年にわたり、国家にたゆまぬ忠誠を尽くし、他の追随を許さぬ確固たる伝統を築き上げてきた。職員各位は、この伝統を大いに誇るべきである。そして、国民の幸福を守る郵便サービスのさらなる増進に寄与するよう、各自、誠実なる職務の遂行を果たさねばならない。……

 折しも郵政民営化が総選挙の主題となっているこの時期、まさに読まねばならぬのは郵便局でどのような労働がなされているかという現実である。だから、私はこの『ポスト・オフィス』なる本を手にとってみた。……というのは大うそで、『死をポケットに入れて』(id:goldhead:20050809#p1)でブコウスキーづいているだけだ。あちらがブコウスキー晩年の記述なら、こちらは処女長編。本人の分身とも言うべきヘンリー・チナスキーが気が狂いそうな郵便の仕事をしたり、女とやったり、女に逃げられたり、酒を飲んだり、競馬をしたりする話だ。
 ブコウスキーの一人称の話。『死をポケットに入れて』など、中川五郎が訳す場合は「わたし」。青野聡訳の『町でいちばんの美女』(ASIN:4102129111)、『ありきたりの狂気の物語』(ASIN:410212912X)では「私」だったかな。で、本作は「おれ」で、柴田元幸訳の『パルプ』(ASIN:4102129138)も「俺」だったように思う。中川氏か青野氏かのどちらかだったと思うが、訳者あとがきで敢えて「わたし」「私」にしており、自分の日本語訳を英語に再訳したものを読ませたらブコウスキーが驚くかもしれない、みたいなことを書いていたっけ。そうだ、そりゃもちろんブコウスキーの世界は荒っぽく、上品じゃない。自然に考えれば「俺」だろう。ただ、なんというか、「私」の方もこれはこれでしっくりくるところがある。うん、悪くないと思う。特に『死をポケ』は「わたし」がビタッと来ていたように思う。うーん、けれど、たとえばこの『ポスト・オフィス』が「私」だったらどうだったか。ちょっと維持できないような気もする。しかし、『ポスト・オフィス』はそのわりに一人称以外はなんだか上品な訳、という感じもする。いや、処女長編だけに……という例えは下品か。
 それはそうと、やはり競馬に関することに触れておこう。

 前回の一マイルレースで、6番の馬は本命に首の差ひとつで敗れていた。直線コースの頭の方で二馬身リードでトップに立っていたが、最後に追い抜かれたのだ。そのレースでの6番のオッズは三五倍、本命の倍率は四・五。どちらの馬も、同じレースに出場していた。本命のハンデは二ポンド増の一一六から一一八、6番は今度も一一六だが、騎手は無名の奴に交替していた。それに、今回のコースは一マイルと16分の一だ。本命が前回の一マイルコースで勝ったのだから、16分の一も距離が伸びたらうまく逃げ切れるはずだ、とみんなは予想した。

 ここでチナスキーが本命にしたのは無論6番の馬である。そう、ここには多くの智慧が含まれている。一つは「逃げ馬の距離延長」という原則。バテて交わされた逃げ馬が、次にさらに長い距離のレースに出る。この場合では千六から千七ないし千八というケース。一見さらにバテそうと思われるが、マイルよりペースが落ち着くのが道理。逃げ馬にとって距離延長は買いなのだ。さらに、ハンデの増減。前走首の差一つの差しかないのに、約52kgから53kgになる馬と、ハンデ据え置きの馬では逆転可能な差だ。しかし、本命馬が前走も人気であったことから、こういう事実は軽視されがちである。さらにチナスキーは続ける。無名騎手への乗り代わりも、わざと不利な条件のレースに出すことも、馬主がオッズを下げないためにやっている、と。「使う側の意図を見抜け」というわけだ。この後、「差し馬の距離短縮」の方の例など出てきて、ブコウスキーはこの原則が好きらしい。何せ『パルプ』でも同じ例を出していたような気がするからな。
 次に、よくわからなかった箇所。ツキについてるチナスキーとバーテンダーの会話。

「ブルー・ストッキングさ」と、おれは奴に教えてやった。「五〇ドルだ」
「奴は重すぎますよ」
「そんなことはないさ。六千ドルで売りに出される上等な馬ってのはな、ハンデ四五キロでも立派に走れるもんなのさ。……」

 「六千ドルで売りに出される」というのは、おそらくクレーミングレースに関わることだろう。この馬が前走六千ドルのクレーミングに出たのか、これがそのレースなのか。いや、あるいはかつての売買額かもしれない。しかし、もっとわからないのは「ハンデ四五キロ」。日本競馬の最軽量ハンデは48kg。アメリカにそれ以下の軽ハンデがあるのかどうか知らないが、いずれにせよ「重すぎる」という会話とは意味が通らない。だいたい、なぜいきなりポンド表記ではないのかも疑問だ。むろん、45ポンドではさらに筋が通らない。あるいは、騎手の体重+45kgという意味だろうか。しかし、いかに体重の軽い騎手がいたとしても、80kg越えは確実だ。日本で一番の斤量を背負ったのはアラブのタマツバキ(83kg……しかも勝った!)だが、いくらなんでも例外中の例外。ここでのブルーストッキング(競走馬名を訳す場合は是非とも「・」ナカグロを入れないでもらいたい)という馬がそんな凄い馬というわけでもあるいまいて。うーん、わからん。
 しかしまあ、ブコウスキーは中央か地方かで言えば、確実に地方競馬の人だ。広々とした緑のターフはあまり似合わない。かー、なんか競馬行きたくなってきたな。なんだっけ、郵政の話だったんだっけ。そんなのはどうでもいいやね。