ジャンボ、ムネオ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050816-00000019-mai-pol

 今回の衆院選鈴木宗男衆院議員の動向が台風の目となっている。どこから立候補するのか、新党でどの選挙区に候補者を立てるのかいまだ明言せず、さまざまな憶測を呼ぶ。当の鈴木元議員は独特の「ムネオ節」で相手陣営を翻弄(ほんろう)。多様な可能性を残して存在感を増し、有利な状況を作ろうとしているように見える。

 ここのところ、鈴木宗男の顔をテレビで見かけるようになった。だいたい辻元清美とワンセットで語られる感じだ。「またムネオハウス建てるのかよ」、「やりまん、いや、やまりんの献金か?」、「ムルアカはどこいった」などと思う方も多いと思う。そして、単なる利権政治家が今更なに? と思ってる人も多いだろう。俺も、おそらくそう思っただろう、佐藤優国家の罠』(ASIN:4104752010id:goldhead:20050602#p1)を読むまでは。
 いや、「今更なに?」というのは今も思うことだ。ただ、やはり鈴木宗男という政治家が、単にムネオハウスだけで語られるのは残念なことのように思う。言うまでもないが、俺が得た知識は『国家の罠』経由なので、‘外務省のラスプーチン’にまんまと騙されたと言われればそれまでだ。しかし、『国家の罠』は、騙されてるならそれはそれでいい、と思えるくらいの本であった。そして、その中に記録されている鈴木宗男は、日本の国益にかなった外交手腕を持った人間でもあった(ある種の利権や癒着があったのもたしかだ)。こればかりは、ともかくこの本を読んで貰うしかない、そこに記録されたディティールを見てもらうしかない、のだけれど。
 ついでにここのところ自分が感じていることを書く。以下は本の内容とは関係ない。今回小泉純一郎郵政民営化に反対したという形で、従来の利益分配型政治家が断罪されようとしている。彼らも、時代の流れに逆らえきれない存在で、その多くが影響力を失っていくだろう。とはいえ、彼らが悪く言われすぎているようにも思える。彼らこそが戦後の長きに渡って日本をここまでの国にしてきた、自民党保守本流だ。その弊害は大きく、時代遅れになったのは否めない。しかし、それを駆逐する様が、あまり愉快なものじゃない。小泉首相が時代転換の宣言として彼らをあえて標的にしているのはまだわかるが、ネット上で見られる(俺の見る範囲に偏りがあり、狭いことは認めざるを得ないが)小泉支持者たちの若者が、紅衛兵よろしく彼らを罵るのはやりすぎに思える。かつての社会党自民党を攻撃したように、「利権政治家」を悪し様に罵るのは。
 自由競争社会は大いに結構だが、そこでは青い目をした外国人だろうと、日本人みたいな外国人だろうと競争に強い奴が勝つ。日本人に利益があるとは限らない。日本がここまでの国になれたのは、民が護送船団に護られてきたせいもあったんじゃないのか。その時代は確かに終わったし、もう戻らないだろう。ただ、一億層中流の夢を見せてくれた自民党の政治家たちに、わずかながらの敬意があったっていいんじゃないのか。俺は情緒的にそう思う。そうだ、政治にはいろいろな見方があっていろいろな人がいろいろなことを言うので、俺は俺の政治の見方が正しいのかどうかも自信はない。だから、くだらぬ情緒に過ぎないし、情緒と投票が結びつくわけもない。
 とはいえ、選挙は面白い。昔から面白がってきたが、今度のは特に面白そうだ。次から次へネタが出てくる。ホリエモンに出馬要請なんて、何の冗談かと思う。堀江貴文衆院議員、か。そしたら、クールビズどころの話じゃないなぁ。Tシャツで登院するんだろか? うん、やっぱ俺はワイドショー的に楽しませてもらおう。