『空海の夢』松岡正剛 つづき4

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21-いろは幻想

色は匂へど散りぬるを(諸行無常
わが世誰ぞ常ならむ(是正滅法)
有為の奥山今日越えて(生滅滅已)
浅き夢見じ酔ひもせず(寂滅以楽)

 前章からうってかわって、かつて弘法大師の作と信じられていた「いろは歌」の話。上記引用部分の()内は、真言密教中興の祖である覚鑁(かくばん)による見立て。ここから入り、再び古代日本語の成立について。そして訪れる「呉音と漢音の対立」。

一般に発音の問題―すなわちボーカリゼーションの問題は文化史で過小評価されているようだ。これはわれわれがあまりに放縦な発音世界や聴音世界にいるために、「音」と「義」と「字」をバラバラに切り離してしまっているからである。

発音とは本質的に意味空間を規制するものだった

 俺が歴史やその他について読んでいて面白いと思うものの見方の一つが、このような「音」だとか「所作」だとか、言葉や字によらないあたりを考える見方だ。この本にも多く出てくる。
 ところで、上の意味空間には<セマンティック・スペース>とルビが振ってある。何かと思い検索すると「セマンティック・ウェブ」なる新しめの言葉がバンバン引っ掛かる。http://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/internet/search2.html ふーん、ようわからんが、言語学人工知能にズッポシの未来の香りに小生の愚息も満足といった具合だろうか。オントロジー……この作者が好んで関わってきそうなあたり(ハイデガーの言葉としては千夜千冊の方に見つけたが)。そしてシソーラス、面白そうな辞典が→http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0775.html。そういえば、一時期ネットで話題になっていた「あなたの思い浮かべるものを当てる」人工知能みたいなやつ(http://y.robinb.net/jp)もここらあたりに関わるものだろうか。

真言はもと言なく、文字は声によりて生ず」

22-呼吸の生物学
 前章の最後をついでか、呼吸と声、そして言語創出についての章。

風気による響きと声の関係は不即不離である。その声がおこってすだいたとき、そこに字がおこる。その字は名をまねき、名は体をまねく、これが実相である。

 「すだいた」の「すだく」は「集く」。集まって騒ぐという意味。こんな言葉のいちいちにも、じっくり読もうとすれば引っ掛かるのだから、無学の者に読書は辛い。それはそうと、上は空海が挙げた言語創出の風景。しかし、いかにして言語がはじまったかについては、未だ解明されていない。さまざまな考えを三種類にまとめると、

「声から文字へ」
空海の言うところ。「マクロスコピックなバイブレーション・リズムから、唇や舌のわずかなトレモロによるミクロスコピックなリズムが躍動する」
「絵から文字へ」
視覚性を先駆として言語という記号を眺望しようという試み。
ボディ・ランゲージ
身振り手振りやミツバチのダンス
 これらに共通するのが「動物的信号性から人間的信号性」への流れであり、やはり文字以前を究明する必要がある、と。そして、声について。

 音声の第一義的特徴はあまり注目されていないのであるが、声が息を吐くリズムの函数になっているということである。

 言語は息を吐くこと(呼息)の産物であり、声を出すときは呼息量がおさえられる。そして、発話時には呼吸数が激減し、吸息作用はすこし増すものの呼息作用はいちじるしくゆるやかになって、呼吸が深くなる。ゆえに、次のことが成り立つ。

 十全な発話活動をしているときに呼吸が深くなるということは、声を出していても瞑想しうるという可能性を立証する。

 筆者はたくさんのお坊さんの読経や声明の中に聞こえる吸気音を“呼吸交響曲”と名づけたらしいが、俺がこないだ出向いた法事(id:goldhead:20050703#p1)のような読経ではそんなもの起こりはしない。何せ発話活動が十全じゃないものな。ああ、しかし、法事の前にこの本を読んでおくべきだった。浄土真宗(たぶん)であれ、もう少し色々と見ることができただろう。つまらない(失礼)説教にも、何か聞くべきところがあったかもしれない。そういや、あの時の小冊子は貰えるのかと思ったが貰えなかった。ほんのちょっとパクって帰ろうかと思ったのは内緒だ。それはそうと、そうか、読経の合唱などというと、どちらかというとアッパー系の効用がありそうなものだが、ダウナー(瞑想)の役割をも果たすとは思いもよらなかった。
 それはそうと、これら声を支配しているエネルギーは呼吸エネルギーである。

生命とはATPである。

「水辺の一本の葦から瞑想する哲人にいたるまで、あらゆる地球上の生命が光合成と呼吸という二つの化学的奇蹟によって成立しているということは感動的である」と生物学者のルネ・デュボスは述べた。

 読経の話かと思っていたら、ATPの話に飛ぶのだから息もつけない。しかし、なにやら呼吸について読んで、呼吸について考えていると、ともかく呼吸が乱れに乱れて息苦しくなるのは俺だけだろうか。呼吸について自覚すると、オートマがマニュアルになったような気になってくる。これは辛い。まあ、それはともかく生物はATPだ。ATPといえばアデノシン三リン酸だ。……というところで俺の「理科」の知識は止まる。http://www.botanical.jp/library/01nurtrition/000014/ うーむ、コエンザイムQ10飲めばわかるだろうか。ミトコンドリアについては本の方にも出てくるな。

鼻や口は風気の単なる出入口であって、呼吸の本質を成立させているのが体の奥深くにあるミトコンドリアであったということは、われわれが内なる身体の細胞ひとつひとつにまで内外の風気を出入りさせているというすばらしいイメージを喚起する。

ミトコンドリア代謝エネルギーの産物が酸化されると、これにともなって放出される電子が鎖のようにつながり、いわゆる電子伝達系という“呼吸の鎖”をつくって、これが呼吸のエネルギーの原理を発生させていることになる

 そして、ミトコンドリアは一個の細胞の中に五十個から五千個くらいあって、そのミトコンドリアの中に一万以上のエレクトロニックな“呼吸の鎖”が活動する、と。で、こうした細胞が何十億とわれわれの体にいるのだ、と。うーん、9000兆個くらい? しかしまあ、やはりミトコンドリアがある種の作家のイメージを刺激するのもわかるな。しかし、今度はそんな自分の体を意識したら、全体的に気持ち悪くなってきた。潮時だ、今日はここまで。