炊飯器の戦い

 はい、先日つらつらと書いていた炊飯器で作る豚の角煮(id:goldhead:20050824#p1)、これに先週末挑戦してみたわけです。まずは角煮用の豚肉を買うわけですが、スーパーで1パック471円というかなり贅沢なもの買いまして、いや、100gあたりの値段で言えばかなり安い部類で、量は申し分なくあったんですが、肉1パック買うのに500円近い出費というのはなかなかの冒険ではありますまいか。
 さて、コーラも買って料理といきましょう。私は一つ決めていたことがありまして、最初なので先の日記に記したリンクのリンク先のやり方を踏襲しようと。いや、大根は買えなかったんですがね、コーラと醤油、これでいこうと。しかし、なんですね、炊飯窯の中のコーラに浸された豚肉。シューシュー泡が出てきたりしていて、これは何でしょう、一種のシュルレアリスムと言えますまいか。
 醤油の加減もわかりませんでしたが、とにかく後戻りは出来ぬと炊飯ボタンを入れたわけでしたが、ここに来ても自分はとんでもないことをしているんじゃないかなどと思うのですから、炊飯器は米を炊くもの、生豚肉にコーラはかけぬもの、という固定観念の大きさにはいささか驚かされましたね。これもまた小さな革命なのではありますまいか。
 しかし、驚いたまま炊飯器の前で固まっているわけにもいかないので、洗濯物を畳むなどしており、ようやく三十分経ったころでしょうか、ちょっと開いてみたわけですね、炊飯器の蓋を。炊飯中の炊飯器の蓋は、赤子が中で煮えていても開けるなといいますが、まあ米ではないので禁断の扉でもないわけです。するとどうでしょう、肉は火の通った憎らしい色をしており、シュワシュワと細かい加熱の兆しが見られるのです。そして、あの黒い炭酸飲料の気配はまったく消失しておりまして、ここまで来ればとりあず一安心というお気持ちはご理解頂けるのではありますまいか。
 とはいえ、菜箸でつつて見たところで肉も固そうで脂身もとろける様子がない。ちょっと味見すると色の割にはかなり薄く、そこでさらに醤油を足してまた蓋を閉じることにしたわけです。その後もちょくちょく開けつつ、じんわりと時間は経っていったのですが、遂に己が米を炊いていると信じ切っている炊飯器の方が、残り時間10分の表示を始めたではありませんか。相手は米でなく肉だと言っても彼は承知するわけありません。果たしてどうしたものかと思いましたが、よく考えれば最初のスイッチから一時間近く経過しているわけでありまして、肉の方も完成しているのではないか、そう私が判断したことを責められはしないのではありますまいか。
 私は冷凍しておいた米を解凍し、あろうことかビール、そう、発泡酒でも雑酒でもないビールを用意したのです。しかし、それら用意ができた段階で残り5分。私はそれまでの辛抱もどこへやら、「切」スイッチをためらうことなく押したのでありました。して、肉の方がどうであったかと言いますと、ビューだよビュー、としか私の語彙の中からは見つかりません。鍋か何かで火にかけても、焦げつくなどしてこの柔らかさは出ないのではないか、そんな風に思ったものです。結局、半分を耐熱容器に入れて翌日以降に回す予定、何せ471円の投資だという予定はどこへやら、ビールと米とともに胃袋の中に流し込んでしまったのでした。これもまた一人の人間に魔が差した一瞬だと言えるのではありますまいか。
 とにもかくにも平らげてしまったわけではありますが、反省点が無いわけではありません。加熱途中にも思ったことですが、生姜くらいは入れておいた方がいいとか、酢をちょっと足せばよかったんじゃないかとか、やはり野菜類を入れた方が楽しみが多かったのではないか、ですとか、まあ色々出てくるわけです。しかし、思い返せばこれは第一歩に過ぎませんし、釜も中蓋も洗えば匂いもなにも残らないこともわかりましたし、改良の沃野が残されていると思えば、耕す喜びも生まれるというものです。というわけで、私は翌日に牛すじ肉を炊飯器で加熱する、という料理を行ったのですが、紙面も尽きましたし、時間もありませんのでこのあたりでお開きというのが妥当ではありますまいか。