『マルタの鷹』ダシール・ハメット/村上啓夫

goldhead2005-10-31

ASIN:4150773017(※私が読んだのは創元社の旧約もとい旧訳で、このリンク先のものではありません)

「うふん。けさも四時ごろ、あいつとトム・ポールハウスが、いっぱい飲みに立ち寄ったよ」

「うふふ」スペイドは白い歯を見せながら、言った。

 久々に小説を読んだ。田村隆一の『殺人は面白い』および、ジェイムズ・エルロイ『ハリウッド・ノクターン』のあとがきによって知った(id:goldhead:20050813#p2)、ダシール・ハメットだ。そして俺は、この小説を読むのにえらく難儀した。時間が掛かった。どうにも読み進めまいとするものがある。訳だ。訳が古い。これがもうちょっと本を読み慣れている人ならば気にならないのかもしれないが、俺にはどうにも引っかかった。特に引っかかったのが上に挙げた「うふん」、「うふふ」。女性が「うふん」言うのなら百歩譲ろう。しかし、顔面V字型デザインを基調とするハードボイルド探偵の嚆矢、我らが主人公サム・スペイドがこれを言うのだから参ってしまう。
 「そのくらいで参るのか」と言われてしまいそうだが、やはりこの小説の肝はサム・スペイドという人物像であって、そこが揺らぐような「うふん」はちょっときついかもだ。もちろん、ハードボイルドと言っても、このスペイド氏は一筋縄では行かないタイプで、小粋なダンディ風味がないわけではない。ただ「うふん」は辛い。明朝体なのでなおさら辛い。
 とはいえ、やはりスペイドは魅力的だ。なるほどエルロイの小説に出てくる、ろくでもないところを這いずり回る男でもあり、ふと気づくと競馬場ばかり行ってるチャールズ・ブコウスキー『パルプ』の‘史上最低の探偵’ニック・ビレーンのようなヘマもしでかしたり。尚かつ、最後にはファイロ・ヴァンス(byヴァン・ダイン)のような切れ味をも見せる(ほめすぎか)。事件解決よりも金に向かって行き、暴力と冷酷さも兼ね備えるってのは、それまでにない探偵像としたら、大きなインパクトだったかもしれない。
 そうだな、なんというか、ストーリーの方も取り立てて驚かされるようなものでもなかった。訳ばかりでなく、内容が古い。いや、それは言い過ぎかもしれないが、「ミステリ史上の最高傑作とまで評された」と言われてしまうと、それはどうかと思うという感じ。よりハードでエグイものを見すぎているせいかもしれない。しかし、読書体験というものは、まず「うふん」から始めるというわけにもいかないのだから仕方がないのである。
 追記:思えばブコウスキーの『パルプ』は‘赤い雀’探しであり、本作も‘マルタの鷹’を巡る話である。ふと、松岡正剛『花鳥風月の科学』の「鳥」の章を開くと、次のような記述があった。

 鳥をつかまえるとか、鳥を追い求めるという物語は世界中に分布しています。
 ヨーロッパの「青い鳥」伝説はその代表的なものですし、中国にもやはり青い鳥や赤い雀を追う話がいろいろある。

 やはり『マルタの鷹』が別にマルターズホークであってもいいが、マルターズライオンでは様にならないといったところだろうか。しかし、P.K.ディックでもあるまい、ブコウスキーの‘赤い雀’は偶然だよな……?