左手に告げることなかれ

新約-マタイ

6-1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
6-2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6-3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6-4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

 『左手に告げるなかれ』というタイトルの小説があった。俺はその中身も筆者もまったく知らないのだが、その言葉はなにか引っかかるものがあった。「いったい何を告げてはならないのだろう?」と。そして、ふと検索して、それが聖書由来の言葉であることを知ったのだった(『左手に告げることなかれ』とタイトルを勘違いしていたのにも気づいた)。
 で、何を告げてはならないかといえば、右手の善行である。それくらいひっそりと良い行いをしろというのであるなるほど、聖書のたとえにはすばらしい表現が多いが、これはよく言ったものだ。しかし、俺は漠然と悪事かなにか(右手の手淫を左手に……など。いや、手淫は悪事じゃないです)かと思っていたので、これには少し驚きもしたのだ。
 しかし、そんなにひっそりしていたら、布教活動なんてのはとんでもないことになるんじゃないだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。しかし、こんな愚問にもちゃーんと答えが用意されていた。こちらのサイトである。
http://www.pauline.or.jp/imamichi/imamichi15.html

聖書を読む場合いつも留意する必要がありますが、たとえば「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」などといういう一句だけを切り離して、文字どおりに解釈し、「右の手のすることを左の手にさえ知らせるな」とあるからには、難民救援を仲間に呼びかけるのも遠慮しなければ、などということはありません。

 似たような戒めを、別のシスターが述べられていた覚えもあるぞ。一言一句から取るのではなく、大意を取れ、と。なるほど、時に聖書内で食い違うこともあるだろう(表現が大げさだし)。そこで、全体から解釈していこうと。で、解釈の食い違いでさまざまに分派していったのだろうか。まあ、そこらあたりは別の話か。
 しかし、もう一つ疑問も残った。6-2の「はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。」がよくわからない。偽善者のような人々が既に「報い」を受けている、とは? 日本語の「報い」それ自体に善悪はない。善悪因果の応報どちらにも用いられる。だから6-1の「報い」は善の報い、6-1の「報い」は悪の報い、なのか? なにかしっくりこない。
 そこで英訳に目を移してみる。6-1「you have no reward from your Father」、6-2「they have their reward」。同じ「reward」だな。リワードタイタン。ん、「their」があるじゃないか。オンワードゼア。というわけでここがポイントか。そして、こんなのを見つけた。
http://logos-ministries.org/new_b/mt6.html

彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

 すなわち、人の世の報いを受けているので、天の国の報いは受けられぬ、という解釈をすればいいのか。なるほど。しかしなんだ、キリスト者でもない俺が言うのもなんだけれど、俺が本として持っている「新共同訳」、この箇所はあまり良い訳ではないのではないかと思ってしまうが、どうなのだろうか。まあ、原語が読めない以上、いろいろあたるよりないのだろう。
 ……さて、何の話だったかというと、次のニュースについて何か書こうと思ったのだ。だが、深遠なる聖書世界をつかの間彷徨して疲れてしまったので、メモにとどめる(この項のあり方が活動への批判、当てこすりというつもりはありません、一応)。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051108-00000091-jij-soci

世界基金に2900万円=「ホワイトバンド」400万本−売り上げは9億円超

 なお伏して乞う、信仰篤きキリスト者の寛恕。