『神仏分離』圭室文雄

教育社歴史新書(1979年刊行…↓現在購入できません)
http://www.bk1.co.jp/author.asp?authorid=110000636600000

民衆の信仰というものは、儒者国学者や政治家が合理政策のワクで律しようとすればするほど、そのワクをとびこえ、不合理なるがゆえに民衆の心をとらえていくのである。

 鎌倉の小町通の脇道に入ったところにあった古本屋、そこの本棚の一番下の段の一番右で見つけた。二百円。俺がここのところ抹香臭い本を読んで抱いた関心に、神仏習合の実態と、明治の頃の廃仏毀釈はいかなるものであったか、そこに興味のあるところだったので、これはもうこれほどピンポイントな本は無いといっていい。これも八幡様のお導きに他なるまい。
 で、神仏分離。明治政府に先駆けて、江戸時代のいくつかの藩でも行われていた。国学朱子学に基づく仏教批判。特に現世利益を
 (と、ここまで書いて一週間以上放っておいてしまった。鎌倉行ったのはいつだ? このままでは何なので、急ぎ足でメモする。)
 中心とする密教系寺院に厳しい。すなわち、関東では一番数の多い真言宗天台宗。これを行ったのが徳川光圀水戸光圀、すなわち水戸黄門)であり徳川斉昭。彼らは決して廃仏を目的とした宗教弾圧者というわけではなかったが、結果としてかなり厳しい取りつぶしをした。その背景には、江戸時代のたるんだ坊主のあり方や、あるいは、檀家制度を背景とした幕府と寺との二重支配で農民が苦しんでいたという面もある。ちなみに、海上防衛のための大砲づくりを名目に、お寺の鐘を接収したりもしている。太平洋戦争を待たずして、こういう例はあった。で、もちろん寺も黙ってはおらず、本山ともなれば幕府にも口出しができるので、そこらあたりの口利きで斉昭などは蟄居させられてりしている。
 で、明治維新。ここでも新政府は「廃仏」を目的として打ち出したわけではない。あくまで「神仏分離」が目的なのだ。しかし、祭政一致国家神道路線も確かなものであり、分離命令を廃仏と捉え、中本山クラスの寺院の僧侶が全員神官に転職する例などもあった。また、江戸時代の檀家制度のもと、僧侶より低い地位に甘んじてきた社人・社僧などと呼ばれてきた層が「神官」となり、私憤を晴らす形で仏教排斥の暴挙を引き起こした例もあった。急進的すぎる動きに、新政府も「廃仏」ではないと通達を出すも、一方でこういった神官の動きを利用して仏教勢力を抑えようとした面もあったのかもしれない(その後、こういった成り上がり神官の質を向上すべく、神官の世襲廃止などを打ち出した)。で、この間の結果として、多くの貴重な記録や仏像、仏具などが失われた。この本では日枝神社(天海の山王一実神道のあれだid:goldhead:20051107#p3)の例などが事細かに記されている。ついでにいえば、この本を買った近くの鶴岡八幡宮(江戸時代は結構な量の仏教系事物が入り込んでいた。現在では見る影もない)の例や、腰越・津村など懐かしい地名も見られた。
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 で、この失われたあたりが惜しい。ここからは俺の感情となるが、こういった喪失の話を聞くと気が何ともいえぬ嫌な気持ちになる。アレクサンドリアの大図書館から華陀の青嚢の書、タリバンによるバーミヤン石仏破壊と、洋の東西もフィクション/ノンフィクション問わずに嫌だ。これは何かしら俺の保存指向みたいなもので、「何でもいいから取っておく」という一歩間違えばゴミ屋敷的なものを心に抱いているのだ。
 で、こういう風に俺を嫌な気持ちにさせるものは何かと言えば、教条主義であり合理主義だ。俺は合理的な考えは嫌いじゃないが、合理主義は嫌いだ。そういえばちょっと前にこんな話題があった。女人禁制の大峰山に入ろうとした集団の話だ(http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511040017.html)。強い神が弱い神を神の法によって調伏するならまだしも、こういう集団はジェンダーフリー思想だかなんとか思想だかわからぬが、社会科学の顔をしているからたちが悪い。こういう手合いは話し合いの合理主義で分かり合える、わからぬものは因習と蒙昧に目を曇らされているという、上からの視点しか持っていない。やろうとしていることはタリバンと変わらない。
 何やら話が逸れた。ともかく、この本はそこまで批判の色濃さはない。むしろ、仏教側の問題点などに触れ、公平でバランスの取れたものだった。新書として読みやすく、手っ取り早い理解を得られる。やはり再び八幡様と鎌倉の大仏に感謝したいと思う。