予告されない殺人の記録

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051201-00000182-jij-soci

「殺すつもりはなかったが、悪魔が入ってきた。否認も悪魔が言った」

 広島の小1女児殺害事件はペルー人で職業不詳のフアン・カルロス・ピサロ・ヤギ容疑者の逮捕で一段落した。そして、出てきたのが上の言葉、すなわち「悪魔が入った」である。
 今朝のワイドショーでも当然この話題が取り扱われていた。そこでコメンテーターの元刑事(北芝健という人だと思う)が、「南米などのカルト信仰」などとしたり顔で語りだしたので、大変驚いた。それは違うだろう、と(念のため言っておくが、俺は悪魔の実在を信じているのでも、この容疑者に同情しているのでも、ましてや心神喪失の状態だったと思っているわけではない)。
 幸いにも、その横にいた犯罪心理学の先生が「人間の中によい心とわるい心があるという考えは洋の東西を問わず〜」などと遠回しに否定してくれたが、たとえばこの元刑事は「魔が差した」という言葉を知らないのだろうか。これが日本人の犯人で「魔が差した」という言葉であったならば、その言葉が非難はされようとも「カルト信仰」という言葉は出てこない。あるいは、ヤギ・ピサロ(名前のどこの部分を抜き出すといいのかよくわからない)の言葉を訳した人がそう表現していたらこういう発言には繋がらなかったろう。
 いや、俺は悪魔の実在を信じていないと書いたが、南米には悪魔くらい居てもおかしくはない、などと思ってしまうのはガブリエル・ガルシア=マルケス好きだからかしらん。なんというか、我々が抽象化しすぎている人間の悪や愛、その他の悪霊について、もっと具体的な形でありうるのではないか。あるいは、昔の日本もそうだったか、などなど。そこらあたりの文化の差異や、今なお形あるものが興味深いとも思うのだが(この段落、今回の殺人の話から遠く離れていることを了解いただきたい)、まあ、そんなのは刑事に不要な感情と言われればそれまでなのだが。

追記:容疑者の名前については、絶対にここが取り上げるであろうと思っていたサイトが取り上げてくれていた。http://www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/2301-2400/hkj_main.html

「ファン・カルロス」という名前が先に来ているのが現地の言い方なので「パスポート」掲載の氏名の順、「ピサロ・ヤギ」が先に来ているのは、日本の「外国人登録証明書」の氏名の順に従ったためと見られます。

 だんだんと統一が取られていくのであろう。このサイトはそれも追ってくれるからためになる。