宮崎勤のとき

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 昭和63年から翌年にかけて、埼玉と東京で女児4人が殺害された...

 昭和の二文字が手がかりになる。俺はまだ小学生、それもまだ高学年になるかならないかというくらいか。宮崎勤。宮崎という名字の子も勤という名前の子も居なかったように思う。もしもあったら、宮崎勤と重ね合わされていじめがあったりしかもしれない。オタクとかロリコンとか、事件発生時には無縁というか、まだ本当に子どもだったな。しかし、中学に入ってすぐのことだ。俺はこち亀を全巻(当時)持っているということで、オタクと言われからかわれたのだ。ちょっと打ち解けた後のおふざけで、一瞬のことだったけれど、俺はそれがとても嫌で仕方なかったことを覚えている。「おたく」の三文字に当時中一だった俺はかなりのネガティヴ・イメージを抱いていたのかもしれない。その当時はオタクが何であるとか、そういった情報など無かったから、よほど宮崎勤の影響が大きかったか。いや、宅八郎なんていうのもいたっけ。宅八郎、最近の秋葉原ブームなどに乗ることもないけれど、かつてはあれがオタクの象徴だった。事件から十七年、もう一度宅八郎を見直す時期に来ているのかもしれない。