トリノ五輪:スノーボードクロス

http://www.joc.or.jp/torino/sports/snowboard.html

レースは、1組4人の同時スタートで行われ、コース上に設置されたオブストラクションをクリアしながらスピードを競い、速くゴールした選手が勝者という単純明快な競技。

 キャッチーな新競技ということで、モーグルで満腹になったデザート気分で見てみた。たしかに単純明快で、何より競技の進行がバカっ早い。12位決定戦、みたいなのも含めて、あっという間に終わったという印象だ。
 ところで俺には競馬がある。変な言い方だが、やはりこういうレースを見るとなると、競馬という基準から見てしまう。さらに、競馬の近縁であるところの、競輪・競艇・オートなどの乏しい知識も動員される。そういう基準から比べるとこの競技、「競走としてどうなんだ?」というところに落ち着いてしまった。
 その大きな要素は、あまりに偶然要素が大きいんじゃないかということだ。中継する日テレではその当たりを「番狂わせの多さ」としてプッシュしていたけれど、当たり前に起こることは「番狂わせ」でもなく、たんなる偶然だろ、みたいな。いや、もちろん、この競技が偶然によって支配されているゲームだとは言わない。基礎体力に裏打ちされ、技術を磨いてきた者たちが、駆け引きをしていくなかでスピードを競うものだ。コーナリングでインを突いてズバッと抜き去ったり、最後の直線でスリップ・ストリームに入ったりと、見応えもある。けれど、どうにもそれ以外の要素が多くはないか、と。
 例えば、ショートトラック。あれも、決勝で上位についていけなかった人が、上位三人こけて金メダルでした、みたいな。あれに対して起こった「競技としての完成度」に対するツッコミみたいなものだ。それと同じで、どうも接触や走路妨害に関して曖昧な印象を受けたのだ。一度審議が長引いたけれど、一発こけたらほぼ修正不能スノボーにしては、どうも不確定要素ありありで、とてもじゃないがこれに賭けられない。
 ……と、いつの間にかギャンブルの対象として見ているからやはり駄目だ。けれど、ギャンブルはできるだけ不公平さを排除した上に成立するものだから、あながち間違いじゃないとか自己弁護してみたりしよう。
 それと、いくつかの冬スポーツに通じる話だけど、ヘルメットにメガネにダボダボの勝負服で、誰が誰だかよくわからない。ここにちょっと入り込めみにくいところがある。ぼんやり競技を見るより、どれかを応援した方が楽しいのは言うまでもないことで、そのあたり日本人選手が出てくるとありがたいのだが(というか、日本人選手を応援する理由の大部分はこれ)、それ以外となると顔や雰囲気とか、そういうものに頼らざるを得ない。
 いや、別にヒューザーって名前の選手だから応援してみてもいい(実況ではフーザーだった)のだけれど、それでもこの競技に関しちゃ見にくかったかな。まあ、一応枠ごとに色分けされていたけれど、衣装自体がカラフルで見分け付きにくいし。ただ、知らない人から見たら馬十八頭走ってるの見ても「何がなんだか」というわけで、このへんは慣れにすぎないのかもしれないけれど。
 ええと、それでなんだっけ。スノーボードクロス、短時間でパッと楽しめるには楽しめたけど、モーグルに対するような‘四年に一度愛’は芽生えてきたりはしなかったのであった。