流れよ我が涙、と勉三さんは言った

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060301it14.htm

 米中韓では「勉強ができる生徒」を志向する傾向が強いのに対し、日本の高校生が最もなりたいと思うのは「クラスの人気者」。もっぱら漫画や携帯電話に関心が向けられているという傾向も表れており、“勉強離れ”が際だつ結果となっている。

 これは最近の高校生に限った話なんだろか? よくわからない。俺は七十年代終わりの生まれだけれど、「成績が良くなること」にはマイナスイメージがつきまとっていたように思える。
 それは俺が日教組強めの公立小学校に通っていたからだろか。彼らは学力における差が顕わになることを極端に恐れていたように思う。一方で、勉強以外の部分、体育や音楽や図工を競争させるのには何の疑問も持っていなかった(id:goldhead:20050621#p4)。少なくとも俺が実感した公立学校のイメージとはそんなものだった。
 しかし、公立学校ばかりだろか。やはりガリ勉=ダサい、という印象は根強いように思われる。ドラえもん出来杉くんだって、スポーツ万能で性格もいい、という付加価値によって、ようやくガリ勉のマイナスからプラスに引き上げられている。一見変な話だが、俺はそう思っている。たとえば勉三さんを見てみよう。……いや、悲しいかな勉三さんはあまり勉強ができないのだったナリ。じゃあ、キテレツはどうなのか。いや、わからん。
 何の話だったか。そうか、人気者か。人気者の方が世を渡れるようという話ではないのか。下流社会下流に位置するのは、コミュニケーション不足の人間という話でしょう(本は読んでないから妄想です)。だとすれば、今の高校生は正しいし、昔の高校生も正しい。人気者は常に正しい。俺のように一見‘成績良かった側’視点で語っていそうでいながら、コミュニケーション力マイナスを誇る高卒無職の社会のゴミ屑など、もはや何も語るべきことはないのであった。