世界の終わりと一杯のかけそば

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060310k0000e030058000c.html

日本の「一杯のかけそば」の物語に似た実話で、台湾では「1杯の陽春めん(具なしめん)」と呼ばれ、話題になっている。

 最近「一杯のかけそば」の字面を見て、「あれ?」と思ったことがあった。何だっけ。そうだ、町山智浩氏のブログで「神に背いた少年は一杯のかけそば」というタイトルの記事を読んだからだった(id:goldhead:20060226#p3)。その記事(id:TomoMachi:20060221)の内容は、実話として出回っていた小説が、実は完全な創作だったと露見したもの。それで、見出しを見て「『一杯のかけそば』って、実話として出回ったんだっけ? それが創作とばれて評判が落ちたんだっけ?」と思ったのだ。しかしまあ、単にその作品をお涙頂戴の「かけそば」に例えただけだったのかもしれない。
 ちなみに、俺が「実話で出回っていなかった」と感じたのは、あれの評判が落ちたのは、作者が出てきたからだと思っていたせいだ。それも、作者の風貌が悪かったのだ、と。あるいは母が、そんな感想を露骨に漏らしていたような覚えがある。そのせいで、俺の中で『一杯のかけそば』は「作者の風貌のせいで評判が落ちたお涙頂戴ストーリー」と、えらく作者に失礼なイメージで定着したのだ。
 ……しかしなんだ、はてなのキーワードを見たら「作者が寸借詐欺の過去がバレて御用となり、ブームが急速にしぼむ」なんて書いてある。俺の風貌説とどちらがマシだったのかわかりゃしない。
 とはいえ、俺は『一杯のかけそば』をきちんと読んだ。読んだどころか書き写した。それだけ感動したのか? 否、小学校の「字をきれいに書く」ためのドリルか何かに採り上げられていて、書き写さざるをえなかった。ちなみに、もう一つ課題になった話があって、そちらは畑に雹が降っていた。それしか覚えていない。しかし、それが記憶に残るというのは「書き写す」ことの案外馬鹿にできない効果かと思う。もっとこれは取り入れるべきだ、何かに。
 えーと、それで台湾か。これは実話だというが、まあ、何か詮索するのも無粋な話か。しかし、今の日本で「かけそば」やったらどうなるだろう。なんかもう、掃いて捨てるような話にしか聞こえないかもしれない。清貧とか気取れる好景気が懷かしい(家が中流から下流に転落してわかったが、貧はどちらかといえば心を濁らせる)。