イチローの意味論

http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20060322-9989.html

「チームを盛り上げ、要所でしっかりと打ち、名実ともにまさにチームの顔だった。1本あたり2億5000万円〜3億円に跳ね上がるのは間違いない」

 あえてコマーシャル出演料という下世話を引いたが、今回のWBC日本代表で一番の存在感を示したのはイチローなのは確かだ。これまでのイメージとはがらりと姿を変え、何とも人間くさく躍動する姿を見せてくれたのである。俺は、こういった印象の変化は恩師仰木彬の死がきっかけになったのではないかと思ったり(id:goldhead:20060123#p3)していたのだが、果たしてどんなものだろう。野武士精神と野球ファンを楽しませようというサービス精神。それの継承だ。
 しかし、「これからはイメージを変えよう」と思って簡単に変えられるわけでもない。もちろん、マスコミによって作られてきた部分があって、元からイチローはこういう奴だった、というのはある。あるに決まってる。しかし、一方で、その行動・表現にはもう一つキーになるものがあるんじゃないかと勘ぐる。それは、ドラマ『古畑任三郎』に出演したことである。
 三谷幸喜という当代人気の表現者が、巧みに人物を造形し、生きた台詞を吹き込んだドラマ。かねてより大ファンだったというが、これに出演することにより、より自己演出のスキルが向上したのではないかということである。守備の待ち時間ですらカメラで抜かれてもかまわないように格好をつけると公言する(もしくは、佐々木主浩がばらす)イチローのことである。そこらあたりの演出には人一倍敏感であり、今回も新たなる演出をしたのではないか、と。
 「それじゃあ、あのイチローの悔しさや喜びは嘘なのか」と思われる方もいるかもしれない。しかし、そんなことは全然無い。本物の悔しさを本物の喜びに乗せたから、より一層我々に伝わってくるものがあったのだ。しょせん人間は人間である以上、制限されたメディアであること(ラジオでは姿が見えず、テレビでは匂いが伝わらない、というように)を免れない。以心伝心が理想かもしれないが、伝心は電信以上に難しいし、口数が多ければ巧言令色と言われる。まことにコミュニケーションは難しい。そこでイチローは、さらなるコミュニケートの高みに登ったのである。黙っていても薫育の薫りになる男が、これじゃもう鬼に金棒、大下に青バットですよ。
 というわけで、俺が結局何が言いたいかというと、フジテレビはとっとと古畑任三郎ファイナルのイチロー編を再放送しろ、という話である。俺は正月から働いて見られなかったんだ。なあ、今なら高視聴率確約ですよ、奥さん。三億払ってでも、是非。