山口組無情

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000015-kyt-l25

天台宗総本山・延暦寺滋賀県大津市)で指定暴力団山口組の歴代組長の法要が営まれていた問題で、同寺の代表役員を務める今出川行雲執行(しぎょう)(68)が18日までに、引責辞任する意向を固めた。

 先月、国立博物館に「最澄と天台の国宝展」を見に行った(id:goldhead:20060417#p1)が、あれは天台宗開宗千二百年を記念したものだった。その天台宗について、上のようなニュース。暴力団の歴代組長の法要を営んだことについて、代表役員が引責辞任(お寺の話とは思えない単語がつづくな)したという。
 うーむ、山川草木悉皆成仏、法華一乗思想、天台本覚論だかなんだかは詳しく知らないが、有情の人間はもとより無情の草木や石ころにいたるまで仏性を有し、成仏に至りうるというのが天台の思想ではないのか。悪人正機はまた別のところの話だが、やくざの法要に問題があるのか。
 って、まあ、法要は営んだ。警察がやめろというのを「宗教行事だ」として営んだ。そこはまっとうな対応だろうか。しかし、それで責任を取って辞める。こちらは詰め腹を切る義理と人情の世界。
 ……もっとも俺は、あまりここらあたりに興味は湧いてこない。完全に人間同士の話であって、代表役員が引責辞任ならば、週刊実話でも読んでいた方が面白い。いや、寺の裏側も面白いかもしれないが、まあそれは別の話。
 そういうわけで、俺は仏教でもキリスト教でも、字に書かれたものや、形ある仏像や絵画に興味は持てても、実際の人間が営む宗教に興味は持てない。坊主も牧師もやくざも、いずれにも関わりたくない。これはまた、俺の人嫌いのなすところに違いはなく、また宗教法人も人また人なりということに違いないのである(死んだ法人たちの法要をすれば、日本の景気ももっと上向くかしらん)。