君たち、笑いたまえ

http://www.nhk.or.jp/special/onair/060521.html

今、日本企業の中に、“笑い・ユーモア”に活路を見出そうとする動きがある。

 たまたまNスペなど見て、にわかに気分が憂鬱になった。国際競争を生き抜くために、笑いやユーモアが必要なのだと。カラオケの次にこんなのがスタンダードになるというのだろうか。
 まずは、コールセンターの社長(名前から調べると、おそらくここhttp://www.sj-heartful.co.jp/)が出てきて、着ぐるみなどしてスタッフに飴玉など配っている。曰く「契約社員は気に入らないとすぐに辞めるから」。すなわち、道化を買って出て、飴玉で機嫌を取ろうというのだ。しかし、コスト削減のために正社員でなく契約社員にして買いたたいているのに、その言い草はどうかと思う。だったら正社員にすれば、とか。まあ、それは笑いとは関係のない話。ついでに言えば、こないだNHKで地方のコールセンター誘致と、その中身に関する(悲惨な)話題など見たせいだ。まあいい。
 そして、どこやら知らぬが、アメリカの航空会社。フライトアテンダントが荷物入れに隠れて驚かせたり、荷物検査で大きなパンツ広げて笑わせたり、社内で運動会開いたりと、まあなんだか見ていて暗くなる。一種、病的なものに見える。面接などでも、「今までユーモアでピンチを切り抜けたことがあるか」「仕事にユーモアを活かしたことがあるか」などと聞くらしい。なあ、笑いやユーモアってこんな実用的な、強迫的なものなのか。
 そうか、アメ公の笑いは単純だと思っていたが、実用的なのか。日本とは違い、向こうは多民族国家。今、そこで面と向かってる相手の素性はわからない。その恐ろしさから、「俺はアンタの敵じゃないんだ」という意思表示のためのユーモア。そのためならば、できるだけ単純で、わかりやすいものである必要がある。その表面だけ見て、「アメ公の笑いは単純」とは言えない。その裏には恐ろしく暗い闇が横たわっている。それ以外のわかりにくい笑いだって存在しているし、そういうことか(……って勝手に妄想してみた。アメリカンと喋ったこともありません)。
 それはそうと、それでもって、真面目に笑いを研究してしまおうというサラリーマンのおとーさん方が出てきてしまうのだから救えない。もう、自分からどんどんハードル上げて、そんな状況はどんな芸人だって逃げ出したくなるような感じ。そんなもの、研究会などで取り組まんと、一人でネタを考えて、発表するチャンスを虎視眈々と狙ってりゃいいじゃん。さもなきゃ壊れた機械みたいにオヤジギャグ繰り出すくらいでいいじゃん。
 まあ、ともかく普通に社会人として生きるにあたって、何らかの一芸など必要となる世の中が来るのかもしれない(あれ、忘年会で隠し芸を強要される、昭和の匂い?)。なんておそろしいことだろう。それだったら、俺は默々と機械のように働く方がいい。まあ、心配しなくとも、俺のような人間が働けるとしたら、発想もユーモアも、言葉も要らない分野くらいに限られるのだろうけど。