そこに山はあるだろうけど

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060525-00000170-kyodo-int

男性救助せず登山続ける エベレスト登頂めぐり議論

 今朝の「とくダネ!」の小倉さんの冒頭トークで知ったが、この件に続いて助けたケース(http://news.2-3-0.org/comment/comment_200605_509.php自ニュFでは「シェルパ」の意味が一般的かどうかを巡って脱線していた。自分は、新聞に普通に用いられる程度の言葉だと思う。辞書やネットもあるわけだし)が出てきて、さあどうなんだ、という話。小倉トークによれば、登山家の多くは見捨てる(という言葉づかいはバイアスかかってるかな?)方を支持しているという。
 これ、町中の話でなく、山の中の話なので、俺的には山男山女の中で勝手に話し合ってくれ、という感じ。エドモンド・ヒラリー卿(関西人の目にはバースに見えるらしいbyサイバラの漫画)のように「助けるべきだ」という意見もあろうし、高山では自分の命や計画が第一で、他人に構うのはかえって危険という意見もあるだろう。好きで死ぬようなとこ行って、好きで死ぬのだから、外野(下界?)から口出す話じゃないってことで。
 ただ、一つ連想したのは、アルピニスト(と検索すると最初に出てくる)野口健さん(http://www.noguchi-ken.com/)の活動のこと。
 ……と、ここまで書いたところで中断、翌日持ち越し。話題はすっかり古くなったか。まあ、気にしない。以下、簡単にメモ。
 富士山やら海外の山やらのゴミを処分するのは大いにすばらしい。しかし、この活動って、根元的なところで、「人が山に登るべきか」ってところに行きつかないのか。マナーやモラルを守って登ればいい、というのだろうけど、何せ人が人を捨てるのが山の世界じゃないか。そんな極限の状態で人がゴミを捨てるなんて、あまりにも軽いことじゃないのか。地元の文化を踏みにじって、人をシェルパとして使い捨てして、それで人が人を捨てる世界でゴミを捨てるなっておためごかしじゃないのか、と。高山は里山と違って人が入らないことで「そこにあった」もの。妙な保存主義者を自認する俺は、下界からそんなふうに思えてしまうのだった。