http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/live/wcup_20060612_01.htm
オーストラリアの同点ゴールが、何人かの脚の隙間をすり抜けて日本のゴールに転がり込む。アナウンサー、無言。俺は、頭でも胸でもなく、なぜか腹にじんわりと嫌な感じが広がるのを感じた。黒胆汁の分泌ではないだろうけれど、野球や競馬では感じたことの無い感じ。これが、四年の重みだろうか。たとえ俺が、地上波で日本代表の試合しかおってこなかったとしても。
後半、素人目に見ても選手はばてていた、だから、「はやく交代して、早く、早くフレッシュなのをちょうだい!」と念じた。念じて出てきたのが小野伸二だった。にわかとしてそのとき感じたのは、「え、小野?」というものだった。サッカーの戦術なんてのは、ウイニングイレブンくらいでしか知らないが、ここはもうちょっと守備的な遠藤保仁とか稲本潤一とか中田浩二とかでないの? とか思った。あるいは、こないだのトリニダート・トバゴのように、あえてフレッシュフォワード投入とか。でも、あの小野だもんな、小野だし、大丈夫とか思い直したりしたけど、あまりしっくりいってるようには見えなかった。
対して、ヒディンク監督の打った手は機能しているように見えた(興奮し過ぎのヒディンクの機能が停止しないか心配にもなった)。「今日は川口に神がおりているから大丈夫さ」とか思おうにも、神シーン続出ということは、それだけピンチという話。手もとのワールドカップ雑誌で、粕谷秀樹という人が「最後は監督の差が出そう」と日本不利を予測していたが、素人目にもそう感じた。俺の頭の中の「頼むからマーティー、ここは石原(もしくは倉)に代打を出してよ」回路が作動したりもした。しかし、ジーコ動かざること山のごとし。
そういうわけで、ジーコがなあ、という印象は残った。が、しかし、ゴール前でキープ&パス&ノーシュートの攻撃陣も問題のように思えた。肝心の、肝心のこの試合で打てない。不思議だ。相手キーパーへのパス、みたいに見えたものもあった。得点力でなしに決定力という言葉の使われる意味がわかったようにも思う。攻撃力のあるチームだって、五点、六点とれるような舞台ではないものね。
そういうわけで、FWがなあ、という印象は残った。が、しかし、センタリングというのかクロスというのか、そのあたりの正確さに欠けたようにも思えた。あるいは、高さ負けなんだろうか。三都主が放り込むシーンも少なく(ただ、ドリブル突破は見せてくれた)、右の駒野友一も突破はすれどもというところ。中田英寿なんかも、素人目にミスに見えるような球が多かったように思うが。これもだんだん疲れが出てきたあたりなんだろうか。
そういうわけで、いろいろと負けたんだなあ、という印象が残った。けれど、そこまで負けたんだなあという印象もない。もとよりオーストラリアが弱いとか下とは思えないような感じもあったけれど、やはり勝てる試合だったようにも思えるし。まあ、強いものが勝つのではなく、勝ったものが強い、のだろうけど(シュナイダー@キャプテン翼……だったかな)。
そういうわけで、あとはジーコの悪運、強運、運頼みだろうか。最初の中村俊輔のゴールだって、ある意味幸運だったのかもしれない。でも、敵将はこんなことを言った。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200606/at00009446.html
ラッキーだったのは確か。しかし、運を手繰り寄せるには、何かを実行しなければならない。計画があり、実行してこその運。実行したから運がついてきた。
‘luck is luck is luck...’。試合後の会見で、かなりくたびれた男に見えたジーコ。彼自身が神になるしか道はないのか。