何も重機で埋めることはないのに

http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200606/sha2006062802.html

首都大学東京宮台真司准教授(社会学)は「一部の若者に見られる『キャラ』(役割)を演じて人間関係を維持するという特徴が表れた事件」と指摘。小林容疑者がキレたら何でもする『キレキャラ』を演じたとし「暴力がかっこいいと勘違いし、暴力で尊敬されると思いやすい。キャラを維持しようと引っ込みが付かなくなったのでは」とみる。

 東大阪大学生などによるリンチ殺人事件。関東者の俺には東大阪大学と言われてもイメージがわかないが、どうしても思い浮かべずにいられなかったのは東淀川大学(いしいひさいちの『バイト君』は、字が読み始められるころから読み始めた俺の根本をなすところの漫画だ)に、南河内大学(言うまでもなく『嗚呼!花の応援団』)。東淀川はおいておくとして、これが南河内大学だったら、薬痴寺先輩が出てきてどうにかするか、青田赤道が本当のバイオレンスでどうにかしてしまっただろう。もちろん、それらは演じられたキャラではないので、重機で生き埋めにするところまではいかないわけである(無理矢理かな)。
 それはそうと、これの前にあったのが医師の息子が義理の母親と義理のきょうだいを焼き殺した事件。こちらでは当然のように、犯人の高校生の「心の闇」がさんざん論じられているように見えた。一方で、こちらの事件は、最終的な被害者が最初は加害者だったとか、そんな抗争図ばかり。それで、主犯格に関しては、「定時制中退」、「露天商や清掃作業員を転々」などの経歴だけ、多くの部分を片づけられているように思われる。それこそ、それらは「社会の闇」なのでそういうものだ、という取捨選択が働いているんじゃあないかという具合。それでいいのかどうか。低学歴、低所得者層が犯罪に走る場合でも、心の闇はあるだろうに。「下流の生活に必要とされるセックス・ドラッグ・ロックンロールが足りていなかったのではないか」など。何か殺人でもしたところで、「社会の暗部、底辺なので」で片づけられそうな俺はそう思うのである。
 でもまあ、サンスポの片隅に上のような分析の一端などあるので、俺の思いこみかもしれない。「キレキャラ」か。東大阪大学がどういう大学かはよく知らない(正直、大学以上でこんなリンチだなんだと、にわかには信じられない。スーパーフリーなど酷い話だったが、あれは悪い部分において大学らしいといえば大学らしい)が、大学生の友人からそうじゃない主犯のところに相談を持ちかけられた、まあワルのようなものが、その点で意地や見栄を必要以上に見せたってのはあるのかもしれない。アウトローとして虚勢を張ってキャラを保つというかなんというか。それに対して、相手も暴力団の名を出したりするのだから、もう引っ込みがつかない。いやはや口は災いの元とよく言ったものだ。