手首に金時計、唇に台本、心に……

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仕立ての良いスーツ、左手首には金の腕時計を着け、党から厚遇されているイメージを醸し出した。一方で、腕時計のベルトが緩すぎるなど、本人の物にしては不可解な点も。

 横田めぐみさんの夫であり、彼女の娘キム・ヘギョンあらためキム・ウンギョンさんの父親とされる、金英男氏の会見。「茶番劇としか思えない」と横田夫妻の言うように、理屈に合わない、北朝鮮に都合のいい内容を伝えるのみになった。
 そして、お茶の間の多くの人が着目したであろう、あの腕時計。いつ頃からの風潮かはわからないが、専門家でなくともこういうディテールに注目が行くのは当たり前になっている。北はそんなことすらわからなかったのか。あるいは、わかったうえで、なめてかかったかのどちらかだ。
 なめてかかったとすれば、この再会劇で韓国と日本を分断できると踏んだのではないか。普通なら、同じ被害者同士の分断などはとても難しい話。しかし、この場合は韓国と北朝鮮、同じ民族。韓国はこの件(腕時計のことではないです)で幕引きに協力するだろう、と。
 そうだ、同じ民族。あまりにも当たり前の話なのだけれど、俺はそれにうなってしまう。あの半島の根強い反日感情という部分はわきによけておくとして、果たして国家と民族どちらを取るのか、そう単純化してみたくなるのだ。同一民族が分断の憂き目にあったとき、国家の主義、思想が強いのか、主義、思想ではなく民族を取るのか。
 もちろん、国家、政治、外交は二択問題になるほど簡単じゃあない。しかし、この日本とて運良く丸ごと西側陣営に入っただけで、どっかで国境線ひかれて日本人民共和国と日本国に分かれていた可能性だってあったわけだ。だから、ついつい想像してしまう(あるいは、そういうifものの小説などもあったかな)。たとえば、自由と民主主義の日本にいる日本人である自分が、アメリカならアメリカを取って、共産圏の日本人を敵視できるのか。そのあたりの分断については、想像したところで想像が届かない。朝鮮人、ドイツ人はどう思ってきたのか。
 というわけで、ほぼ(この「ほぼ」は重要だろう)単一民族単一国家の歴史の先に生まれてきた(逆のパターンで、多民族国家というのも想像がつかない)のには、やはり我らが父祖と彼らの幸運に感謝といったところか。山本七平イザヤ・ベンダサンとして言っていたっけな、決定的に国を割ったことのない日本人の驚異的な政治的センスについて。この先いくら経済的な二極化が進もうとも、GKと妊娠が、営業とプログラマが、亀田派と具志堅派が争おうとも、この点については今後も心配はないだろう。