王貞治について

 生まれたとき、産声もなくて、赤ちゃんなのに体も顔も真っ白、出生届も10日間出せなかった王、その王が1本足最初の日、5打数3安打4打点、この打法を自分のものにした。人間の持っている運とか、縁に私はうなる思いなのである。
『戦後プロ野球50年史』近藤唯

 突然の発表で世の野球ファンを驚かせた王貞治監督の離脱。長年のプロ野球人生、そしてWBCの激戦、心身に与える大きな負担は想像に難くない。近藤唯之の本によれば、城島健司をして「痛いかゆいを言わない」を言わせる人物も、生まれたときは未熟児だったというのだから驚きであり、また、後の活躍はますます偉大だ。どうにか無事に病を乗りきることを願いたい。
 ……というのは本心である。本心であるが、俺の中での王に対する一種わだかまりのようなものを乗り越えての本心である。自分の中で毀誉褒貶がある。別に、病気の人間にケチの部分を出す必要はない。必要はないが、自分の中で整理はしておきたい。
 俺は物心ついたときからの広島ファンであり、アンチ巨人である。プロ野球の何事もがジャイアンツ中心に回っていくすべてが許せず、その許せなさが俺の人格を形成し、なお巨人を嫌わせるに至った。そして、その源泉のところにON、王貞治長島茂雄がそびえている、いわば巨人中心主義の象徴である。当然、王に対していい感情があるわけではない。
 しかし、王は東京を離れ、福岡へ行った。今や地元民に「福岡の誇り」(テレビで見た)とまで言われる存在になった。巨人もしくはセリーグ中心主義から脱却。これは評価してもいいのではないか。そうは思える。
 当然、現役時代は知らない。知らないが、記録は偉大だ。野茂、イチロー以前の、世界(アメリカ)から歯牙にもかけられぬであろう日本プロ野球で築いた記録でありながら、世界にその名が轟いている(らしい)というのも偉大だ。これについて何か文句を言えようか。
 とはいえ、文句言いたくなるのは、自分の記録への拘泥と思われる部分。すなわち、王選手から王監督になったのちの、シーズン記録阻止の敬遠である。むろん、王が直接指示したわけではない。しかし、そこで空気を読んで勝手に敬遠策(策ですらない)を取るコーチや投手を止めなかったのは王の責任だ。王はそれだけの影響力がある人間。自分がそれだけの存在であることを承知している人間ならば、試合中にでも具体的に指示すべきなのだ。若菜が詰め腹切ればいい話ではない。結果として、55本の記録は汚れてしまったように思える。
 あと、古い話を引っ張り出せば、スパイ疑惑なんてのもあったっけ。あれも、うやむやになった。
 ……と、まあ、あまりいい感情は持っていなかった。WBCの優勝は素晴らしい結果だったけれど、采配にはやや疑問もあった。が、しかし、それと同時に、日本プロ野球の顔、世界に対する顔としての存在の大きさにはあらためて気づかされたし、また、イチローが心酔するさまを見て、その人間性についてもうならされた。井口や城島、教え子のメジャーでの活躍などもあって、その慕われぶりは本物であろう。
 以上が、いろいろの感情。やっぱり整理されてないな。まあいいや。ただ、今回の報道で気づいたが、王ももう66歳。次のサッカー日本代表監督のイビチャ・オシムが65歳で、その年齢がすこしだけ不安視されるオシムよりも年上だったのだ。俺にはとてもそう見えなかった。長島茂雄とともに、やはりプロ野球はいつまでもONに頼りすぎなのではないかとも思える。もちろん、本人の願うように、一刻もはやく現場に復帰するのが望ましいことなのだ。しかし、ふとそう思う。