「詩人の旅』田村隆一

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 俺が先日急に地図帳が欲しくなったのは、この本を読んでいるがためだった。俺はどうにも地理というやつが苦手で、あるいはメジャーかも知らない地名が出てきたところでちんぷんかんぷん。せっかくの旅も五里霧中ではもったいなかったというわけ。そういうわけで、こないだ買った地図帳は、名所旧跡温泉観光地にくわしくて、悪くないチョイスだったということ。
隠岐

 メイ・ストーム、五月初旬に日本列島を襲う、あの爽やかな低気圧が東方洋上に去るのを待ちかねて、ぼくは特急「出雲」にとび乗った。

 というところから詩人の旅ははじまった。詩人は遠流の地のそうそうたる面子をあげ、「まるで日本文化の粋の輸入国ではないか」と。そして、‘存在しない島’をタクシーで観光し、食べて飲んで、また‘存在しない島’に本当の日本文化を見つけたりするわけだ。

 ……という具合に、全部の項目に感想メモっていこうかと思ったけど、長くなるのでやめ。詩人の旅は、たとえばつげ義春みたいな逃避行ではなく、どちらかといえば東海林さだおが「あれ食いに行こう!」とどっか飛んで行くのに近い雰囲気がある。酒と温泉を愛する詩人である。しかし、そればかりではなく、詩人が己の戦争体験の追憶をたどる旅もあったりする。

「タムラさんの戦争体験というと、お酒の話ばかりですね」
(略)
「そうさな、こないだも、家内が二晩がかりで阿川さんの『暗い波濤』という大戦末期の予備学生の運命をテーマにした長編小説を読みあかしてね、目をはれあがらせて言うんだよ、『同じ予備学生でも、艦や飛行機と運命をともにした人たちと、月とスッポンの違いなのね。あなた、はずかしくないの?』そんなこと言われたって、ぼくにはぼくのスッポンの運命があるんだものね。なにも好きこのんで、酒ばかり飲んでいたわけじゃないや」
「さあ、どうでしょうか?」
「おや、いやにさからうね」

 という具合。詩人は「いずれは玉砕と観念」して、経理課からせっせと前借りして飲んでいたら、戦争が終わってしまったのだ。このあたりについては、「二度死んだ男たちへ」の中に見えてくる。「硫黄島の水と/木屋町の水と/どっちがおいしくて甘かったか」。俺はなぜだかその戦争の時代の人たちのそれぞれの話にひかれる。決して画一的なものじゃありやしない。それが「要約せざる人々」ということなのだろうか?
 そうだ、そういうふうに、詩の中の光景が旅の中(の回想の中)にかいま見られる、というと順序が逆なのだろうか。俺はミーハーで上っ面の上澄みしか知らないので、時代背景、人間関係などよくわからない。しかし、「開善寺の夕暮れ」の「寺院は崩壊せよ それゆえに/信仰があるのだ/鉄斎の山嶽図は裂かれ/われらの心を裂く 信州/上川路の秋ははじまるのだ」が、そうか、詩人の宗左近に紹介されてその寺に転がり込んでいたのか、などとわかったりして面白い。
 ああ、俺は出無精なのに旅がしたくなった。とくに、集中豪雨が来そうだと、さっと鎌倉の谷戸から出て佐久に行く話など最高だ。ローカル線、小海線、いちど乗ってみたい。まあ、そんなところ。