『ハウルの動く城』宮崎駿監督

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 なんどめだハウルと言いたいところですが、これが地上波初登場。私もこれが初見となりました。すなわち、地上波待ちだったわけです。私とて日本国民の平均といった具合には宮崎アニメ、ジブリアニメを見てきたでしょうし、あえて地上波を待つまでもなくシアター、DVDで見る手もあった。しかし、どうも『ハウル』には食指が動かなかったのです。
 なぜでしょうか。それは、この作品が老いの作品である、という先入観を持ったわけでした。私にはどこか、私自身や家族、知人たちの老いを忌避したい思いがあり、この作品が宮崎監督自身の老いを反映したものである、というような論評などを見て、むしろ、「あまり見たくない」とすら思ってしまったのです。この世のあらゆる老いから目を背けようとする私の心のはたらきです。
 さて、実際に見てみてどうだったでしょうか。私の予感は半分当たり、半分はずれといった印象を受けました。たしかに、老いてすぐのソフィーに関しては老いが描かれている。重い足腰、ぽきぽき鳴る関節。また、老いのマイナスをプラスの側面にとらえる「老人力」。すなわち、「年を取っていいことは、驚かなくなること」。この泰然自若さが無ければ、すぐに発狂して癲狂院行き。ひとかけらのパンを鞄につめて旅に出ることもなかったでしょう。
 ということは、ソフィーは心まで老いの境地を得ていたのでしょうか。あるいは、若い自我とのせめぎ合いだったのでしょうか。ソフィーはハウルを愛してしまう。しかし、それが若い恋なのか、老いらくの恋なのかはわかりません。‘女は灰になるまで’などと言いますが、荒れ地の魔女のハウルの心臓を求めるがごときところにそれも描かれているようです。
 まあ、そんなわけで、「老い」映画であるところもあるにはありました。しかし、その一方で、ちゃんとメカメカしい城(城の崩壊して行く段階など、最高でした)が描かれ、空中活劇あり、戦争シーンありと、アグレッシヴなファンタジー映画をちゃんとやっている。ここらあたりはうれしい裏切りとも言えましょう。ただ、ちょっと「老い」の方がないがしろになって、断絶している印象もありはしましたが。
 ところで、ちょっとアマゾンの方のレビューを見てみたのですが、意外にも「説教臭い」という意見が多い。これにはちょっと驚きました。反戦メッセージなどを鬱陶しく感じる人がいるようですが、どうでしょう。古今東西、ファンタジーやおとぎ話なんてものは、平和になってハッピーエンドなものじゃないでしょうか。英雄伝説ですら、敵を打ち破って結局は平和になる。これ、あたりまえの傾向、お約束ではないのかと思いますが。「戦争の原因が描かれていない」「平和が大切なんてみんなわかっている」などと反発してしまうのは、説教されたくないという意識の神経過敏、意識過剰のように見えますし、そういったものをここに求めるのはちょっとお門違いのように思えます。むろん、宮崎駿がメッセージを込めなかった、と言うわけではありません。しかし、それが作品のバランスを崩すようなものとは思えないということです。
 あと、声優。この作品、木村拓哉の声がどうこうという話が決定当初からなされていました。しかし、キムタク、案外悪くない。悪くないどころか、ぴたっと来ているところなど、ナルシスト美青年らしさが十二分に発揮されていました。ただ、たまに本人の顔が浮かんでしまう部分もあったりして、そこがプロ声優との違いなのかもしれません。まあ、キムタクは合格(私、ずいぶん偉そうですね)なのですが、ヒロインの方、こちらが少し気になった。もとより落ち着いて、ある種の諦観すらあったようなソフィーですが、少女の声には無理があったように思えます。中年(中間形態ありましたよね?)〜老年は倍賞千恵子、少女時代は別の人という使い分けでもよかったんじゃないでしょうか。あと、我修院達也カルシファーは文句ないんじゃないでしょうか。さすがに幼少のころより音楽の英才教育をほどこされ、変声期には声帯を保護したという経歴の持ち主というところでしょうか(以前、「いつ見ても波瀾万丈」でやっていました)。
 まあ、そんなわけで、細かい場面場面の比較でなく、全体的な印象でいえば、私の中で『千と千尋の神隠し』、『もののけ姫』より上位に来た感があります。いや、「そんなわけで」と書いたわりに、面白かった「わけ」があまり書かれていない。でも、そういう感じ。中盤からぐいぐい引き込まれて行きましたとも。細部も相変わらずすばらしいし、涅槃の景色かと思わせる風景もいい。メーンテーマもとてもいいし、テンポもいい(たとえば、ハウルの性格について過去になにかあったのか描くべきかどうか。そのあたりは意見の分かれるところかもしれませんが)。そういうわけで、食わず嫌いはいけなかった、とりあえずはそんな風に思う次第であります。