もしそうなったら亀田興毅を応援したいんやで

 今朝のワイドショーとかでインタビュー見たんだけど、なんかもう興毅君かわいそうになってきちゃったよ。俺はなぜか試合前日に完全にアンチの側に振れたんだけど、別に彼個人に嫌悪感みたいなのは無いんだよね。ああいうパフォーマンスや言動にしたって、ガチンコ!的な作りもんでしょ。彼が敬語話そうが話すまいが話せようが話せまいが、俺はあんまり気になんない。
 それよりもなによりも亀田を取り巻く構造というか仕組みというか、そういうものにムカツクんだよな。それは何か一つの団体、一人の個人ってわけじゃなく、ジムやテレビ局や広告代理店や、あるいは裏社会までの複合的に込み入ったもの。それらがよってたかって誰かが大切にしていたボクシングの舞台に踏み込んで、みんなを寄せ集めて糞見せつけて、金、金、金って大喜び。俺はなにも、商業主義やコマーシャリズムを全面否定するつもりはないぜ。純粋アマチュアスポーツ主義者でも、共産主義者でもない。だけどな、度合いってものがある。一かゼロの話じゃない。程度、度合い、分をわきまえるべきだ。どっかしらに、人を不愉快にさせる一線がある。演出でごまかせないところがある。で、こういうなんでもありの国と、たとえばベネズエラ人に思われるのは嫌だし、多くの批判はこれを恥じるところから出てるんじゃないかと思ったり。
 で、亀田本人だ。もちろん、彼が居なければ成り立たない構造。責任が0とは言わない。言わないけれど、そんなに大きくもないんじゃないの、と。だって、批判的に取り上げられても疑問視されない、あの練習一筋。(親父流)ボクシング漬けの毎日で、ぐれるヒマもなかったんじゃないのか。そんな彼に、現状の自分の置かれた立場を自己批判しろってのは酷だ。そもそもまだ十九歳、まともに育ったところで分別なんてあやしい年頃、あるいはボクシングのタイトルくらいどうにでもなってしまうくらいの巨大構造相手に一人でどうにかしろってのは無理もいいところ。それに、他の家族も人質に取られているようなもので、手に入れた豊かさを捨てろとも言えはしない。
 それでも、それでもだよ、それでも亀田興毅個人が、どこかおかしいぞって、叛旗翻さないものだろうか。あの歳でさ、全国といってもいいくらいの批判の対象(の一部)になって、それでも自我を保っている彼だもの。何にも気づいていないとは思えない。サングラスの下に隠れた目は本当にしょぼしょぼかもしれない。言霊ってのは怖いもんだぜ。で、もしも、彼がよからぬものたちと、あるいは父親と決別することができたのならば、ピエロや操り人形じゃなくなったのならば、俺は、その時は応援したいな。もう、輝かしい舞台に立つことはなくても、その時こそ応援したいな。なんかそういのってすてきやん。それで、人知れず街を去り、山奥の小屋でボクシング道を追及し、ある時偶然知り合った才能ある少年に自分のボクシングを教え込み、彼がかつて決別したものたちが支配するボクシング界に殴り込みをかける……感動のボクシング巨編全32巻! とかになったら、完全に三文芝居やん。
 まあ、判官贔屓の俺だから、叩かれて弱ってる方にちょっと肩入れしてしまったのかな。でも、そこんとこは区別したいので俺が嫌いなのは「亀田」と括弧付きにしておくことにする。