種なし柿のこと

 先日、ラジオに‘ベランダー’のいとうせいこうが出てきて、身近な園芸について語っていた。「はじめてやって枯らしてしまったことをトラウマにやめてしまう人が多いが、命はいずれ死ぬもの。自分がその死を看取ってやったと思えばいい」などと言っており、実に納得。つい先日読んだ、変わり物好きにはたまらない『ひみつの植物』(藤田雅矢著:ASIN:4872902203)でも「これまでにどれだけの植物を枯らしてしまったことか……」と著者の述懐がでてきたっけ。
―閑話―
『ひみつの植物』と同じ著者の『捨てるな、うまいタネ』(ASIN:487290155X)という本の存在を今知ったが、俺も「俺は種を見ると植えたくなり、茎を見ると挿し木したくなる類の人間」(id:goldhead:20060329#p1)で、そっちもチェックする必要があるな。
―休題―
 で、柿の種はけっこう発芽する。盆栽と言うにはまだまだだが、それなりのところまで大きくなる。しかし、その先が続かない。でも、再チャレンジ。というわけで、スーパーで柿を買おうと思った。買おうと思って驚いた。けっこう売場も広いスーパーの、柿はすべて種なし柿。俺は平素、果物などというぜいたく品を買うことがないので知らなかったが、こういう世の中なのか。
 しかし、次のチャンスは早く来た。桜木町の百均型コンビニの店頭、二個百円で小振りな柿が売られている。さすがにこの手の店の柿がわざわざ種なしでもあるまいというわけだ。が、これもおおはずれ。種を切らぬよう、慎重に包丁入れてみれば、どこにも種なんかありません。柿をそれほど好まぬ俺でも、甘くて美味しく感じられたのは幸いであったが……。
 というわけで三度目の正直。今度は小さめのスーパー。値札に「種無し」と書かれた柿と「種あります」と書かれた柿の二種類が売られていたのである。ただ、箱が並び合って、混ざり合っている状況なのだ。これで種なしを買っては、というところだが、事前に種なしは「小さめ・平たい・四角っぽい」という知識を仕入れていたので、無事種あり柿を買うことができたのである。
 しかし、考えてみれば、柿などそこら辺の庭先にも植えられており、カラスなどがつついたりして、道ばたでつぶれたりしている、そのへんから拾うんでもよかったんじゃないのか。が、柿ドロボーと間違えられるなど、磯野カツオかという昭和っぷりな目に遭うのも嫌だし、やはりカラスの食い残しというのは多少俺でも気になるところ。とはいえ、実生派としては道に落ちている種も拾っていく方針なれば、いずれを手を出してみようかと思わないでもない。