『渋谷』藤原新也

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 伊勢佐木町有隣堂古書市、路上ワゴン、630円。出品者古本大學。
 俺は北海道の札幌生まれ、古都鎌倉に育ち、いまは横浜山の中。東京は大の苦手。人が多すぎて気持ち悪くなる。特に渋谷は厳しい。情報量が多すぎて、頭がおかしくなる。容量オーバーだ(id:goldhead:20050820#p1)。だけれども、苦手さでいえば、もうちょっとおしゃれでかしこまった東京の方が苦手だ。渋谷は何でもありの感があったように思える。あまりに雑然としているので、俺が多少東京に足らない人間でも隠されてしまうだろう。でも、生理的に無理だ。場外馬券売り場が一番落ち着ける。
 今、テレビのニュース。自殺した女の子の母が訴える「正義感が強くて、真面目な子が、普通に生きられるように」。この本を読んだあとでは、なにやらその背景が気になってしまう。自殺した子の親に何か言うのは気が引けるが、家族はどうだったのか。学校の問題もあろうが、たとえば教師を吊し上げるかのような、同級生の保護者たち、彼らの家庭は大丈夫か。今、この時点で家庭の問題を論じようとするのは人道に背くかもしれない。でも、やがて、彼ら親たちが今後、精神的ケアなど受けるうちに、何かが見えてくるかもしれない。いじめ=学校のせい、だけでは、ちょっと、無理でしょう。
 家庭は大丈夫か、などという俺の実家すでになく、家庭を築ける予感もないワーキング・プア。だから、無責任で自由に言うだけ。本当に心配なんてしていないのだな。
 まったくこの本の藤原新也は、またなんだろう。フォト・セラピストであり、やけにギャル用の固有名詞を知るキモイおっさんであり、自らシャッターを押さぬ遠隔撮影まで行っているから驚きだ。あんまり怒りはないな。やさしいね。『アメリカン ルーレット』のアメリカ、なにくそみたいな感じとか、『東京漂流』(id:goldhead:20060214#p1)の野犬の牙、そういうのはないね。でも、切れ味はあるよね。冷徹とはいえないけど、ぶれないカメラみたいね。それで、きっとこの本に出てくる少女に向き合う姿勢、異国、異文化に接するときの、そういうのが活きていて、そういうところなんだろうかね。
 いくつか、本題じゃないかもしれないけれど、気になったところ。

北欧の歌手なんだけどちょっとサムい感じのする子。っていうかもう結婚して子供もいるんだけど、それでもまだサムい感じ。だけど寂しい感じがするのにすごく強い自分があるの。

 ビョーク! そうか、サムい感じなのか。俺はビョーク好きで聞いていたが、どこかしら、女の、子宮の声という思いがあって、永遠にわからないところのある、それはいくらかの女性歌手について思うことだが、その壁の向こう側の声、聞いて、理解できたとは言わないが、腑に落ちる、これだけ腑に落ちるビョーク評は今まで読んだ覚えがない。あ、これの語り手は「少女」であって藤原さんではないの。

地面に座っていちばん低いところから世界を見てる感覚って、あの時でなきゃ持てなかったんだと思う。

 人から軽蔑の目を受けながら、逆にルール側を小馬鹿にする感じ。俺は俺の正規ルートを放棄したとき、その証拠として一発ピアス穴を開けたのだった。が、軽蔑はされているだろうし、小馬鹿にしているのかもしれないが、前後でなーんも変わらない。どちらかというと、幼いころから劣等感と傲慢の両極端に引き裂かれてきたタイプの人間だからだろうか、なにもかわらない。しかも、やはり俺は生まれと育ちのいい人間だから、ピアスにしても茶髪にしてもどこかしら上品なんですよね。

「……コンドーム、喉に詰まらせて死んじゃったんだって」

 ゴムフェラからどうやって喉にゴムを詰まらせるのか。ゴムってそんなに外れやすいだろうか。馬のような量の精液を放ったのか。ものの小さな男だったのか。上品な俺は気になった。