避けられた悲劇の記録

 「ホワット、ミート?」と外国人の男―白でも黒でも黄でもない―がレジのおばちゃんに尋ねる。片言の英語で尋ねる。手にしているのは、レジ横に置いてあるビーフジャーキーのようなもの。レジのおばちゃん、しげしげと商品を見て「ウシ」と答える。外国人、よくわからないという表情を浮かべる。「……ウシ、ビーフビーフ!」とおばちゃん。そのやりとりを見て、隣のレジの俺は思わずこう言いそうになる。
「ホース、ホース!」と。
 が、念のためか原材料表示を見るおばちゃん、「ウマ、ホース、ホース」と言う。言われた外国人、先にレジを終わらせていた連れの男に、何語かわからない言葉で声をかける。声をかけられた男が何語かわからない言葉で返す。おばちゃん「ベリー、デリシャス、オイシイ」と営業する。外国人は、結局、ビーフジャーキーのようなものを買う。
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 以上、俺が数日前にスーパーのレジで見たやりとりである。ビーフならオーケーということなので、おそらく、イスラム教徒だろう。しかし、ホース、馬肉はオーケーなのだろうか? 
 馬肉はけっこう各文化で分かれる。日本では桜肉と呼ばれ、普通に食用となっている。しかし、英米などは馬肉食を忌避する。が、フランス、それにスペインなんかは食べる。このスーパーにも冷凍の馬肉が売られており、それはポーランド産だったような気がする。
→参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC#.E9.A6.AC
 かように、バラバラなのである。では、食べていいもの、悪いものが明文化されているムスリムはどうなのだろう? さて、蹄の話が出てきた。イスラム教徒(とユダヤ教徒。ちなみに、キリスト教徒が豚を平気で食べるのはガダラの豚……は関係なく、マルコ福音書7章あたりらしい)が豚を食べない、というはともに聖典とするヘブライ語聖書によるもの。豚と名指しされているわけではないらしい(が、コーランでは豚名指しされており、むしろそちらが強いか)。レビ記11章。
http://www.fsinet.or.jp/~yoyoue/bible/lev.htm

11:02イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、 11:03ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。

 馬は言うまでもなく蹄は一つ。しかも反芻動物ではない。これはアウトだ。ハラーム(禁止された食べ物)だ。
 ……って、あれ、じゃああの外国人はなんだったのだろう。はっきり言っておくが、ここまで「馬はイスラム教で食べてオーケーだった。意外だった」という結論に向かって書いてきたのだ。見出しだってそうだ。どうしてくれよう。
 まず、考えられるのは彼らがイスラームではなかったという可能性。何教か無神論かわからないが、単に肉の中身を聞きたかっただけ。日本語も解さないようだし、日本文化に疎い。もしもキャットやドッグやラビット、ホエール、カープ、タイガースが入っていたら嫌だな、と思った可能性。あるいは、鶏肉アレルギーなど、生理的な問題という線もありうる。
 もしくは、彼がイスラム教徒でありながら、二人の会話が「馬っていいんだっけ?」「よかったんじゃなかったっけ」であった、あるいは「たしかダメだったけど、まあウシメインだしいいか」であった線も考えられなくもない。
 って、この後者の想像は失礼だろうか。しかし、真に厳密に食餌規定を守るならば、たといウシであっても正式な屠殺様式が守られていないからハラームなはず。さらには獣脂なども忌避されるのだから、そのリストは膨大になる。普通のスーパーで買い物なんかはできない→http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8328/halal.html。日本人の信仰は幅がありすぎて比べられないかもしれないが、ムスリムにも教条をどこまで守るか、という幅があるのではないか。また、出身国などによって、その強弱もあるのではないか。と、ちょっと調べると、あまりの教条主義は否定されているという考えも出てきた→http://islam.web.infoseek.co.jp/abu/halal1.htm
 と、いうわけで、いずれにせよあの人らがデリシャスなビーフとホースを納得して買ったのだから、まあ悲劇は起こらなかった、見出しも間違っていなかった、ということにしよう。いや、デリシャスだったかどうか俺は知らない。あれを買い、ホース入りと知った俺は、あれを食べなかった。食べずに人にあげた。それは、私の個人的食の禁忌によるものである→id:goldhead:20041129#p4。ってまあ、ウィキペディアに指摘されているように、競馬ファンとしての験担ぎの意味が大きいのは否めない。かように一個人内にもさまざまな線引きがあるのだから、それが文化宗教ごとに分かれ、その先に個人個人がいるとなると、まあいろいろあるってこった。
 なお、各宗教について誤解などがありましたらごめんなさい。

※2013年2月8日追記

 この記事を読んでふと気になってまた調べた。

 こちらによるとイスラームで馬肉に関しては学派によって見解が分かれるものらしい。しかし、7年前の記事に追記するとは。小学生が小学生じゃなくなる時間の隔たりがあるぞ。というか、インターネットに情報が増えたな、という一方で、本文中のリンクは2つとも死んでら。ああ、しかし、7年……。