階段から人生が転げ落ちる

goldhead2006-12-06

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20061206005.html

京急蒲田駅事務室で警察官に「わたしがやった」と痴漢を認めたという。

 なんでみんな植草一秀のことが好きなのか、考えてみた。みんなことを考えても、よくわからなかった。なので、自分がなぜ植草の話題が面白くてしかたないか、と考えてみた。やはりよくわからなかった。ただ一つ言えるのは、今回の話題も最高に面白いということだ。
 とくにすばらしいのは、「京急蒲田駅」というシチュエーションだ。人が人生の階段を、社会の階段を落ちていくのに、これよりふさわしい駅があるだろうか。ちょっとほかに思いつかない。羽田方面への乗り換え案内のアナウンス、梅屋敷、大森海岸、立会川、鮫洲、青物横丁などの詩的な駅名が響き、蒲田行進曲のどこかもの悲しいメロディ、そして赤い電車はファソラシドレミファソをひっきりなしに奏でる。快特は人生を置き去りにしてどこか遠くへ、あっという間に遠くへ行ってしまう。惜しむらくはその時刻。これが夕暮れどきであったならば、パチンコ屋のネオンと夕陽、競馬場帰りの客たちが絶妙の色合いを醸し出しただろう。そして、切り絵の影のように警察官に頭を垂れる痴漢犯は元教授。もしそうであったならば、私は植草のために涙を流したであろう。
 というわけで、植草は詩的存在であることが確認される。蒲田の階段は手鏡を用いた自動階段に通じ、その自動階段は彼の誓う天へと通じる道なのである。しかし、彼の天は、私たちが倶に戴けぬ天だ。彼は地の底の牢獄に向かう。ここにマレビトの悲劇がある。彼の接触に人々は困惑し、混乱し、これを排撃しようとする。彼が手鏡をかざし、「鏡に映るあなた方はどうなのだ」と言おうとしても、その鏡ももう取り上げられてしまっている。