映画『ミュンヘン』

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※走り書きメモくらいにしかできないや。
・複眼的、多面的、そんな名作とされるような作品……ってたとえばこれのことだ。人から借りるとき、「長い」と聞き、なんなら二晩に分けて見ようかとすら思ったけれど、そんなのは無理だった。あっという間だ。
・やはり作り込みが違う。ある街角の風景すべてが生きているようだ。行き交う人々にバタバタいうバイクの音。夕暮れ、朝もやの空気。食事。たとえば作品のテーマやストーリーの是非はあっても、これのすばらしさは大多数の支持を集めるのではないか、とすら思う(……が、俺はあんまり映画を観ないので、高く見積りすぎているのかも)。
・「ノー」という台詞がところどころ、なぜか印象に残った。断絶、なのだけれど、まだ会話、対話、でもあるんだよな。山本七平ユダヤ人ものを読むと、彼らがいかに議論好きな民族か出てくる。それを思い出させるシーンもいくらかあった。
・ルイはなにか魅力的なキャラクターだった。何かもっとあるのか、と、思わせて、あるのか、ないのか、あったのか、なかったのかはっきりしない。そのあたりが上手い。あのメリケンはCIAだったのか? 爆弾は事故だったのか? あれは誰が殺したのか? 疑心暗鬼を放っておくのも怖い演出だ。主人公たちは主人公だったが、別の視点ではどこかのピースであり、多くのグループの一つでしかない、見えない全体像。その答えもない。
・オランダ女は強烈だった。多くの人が死ぬ映画だけれど、とりわけて強烈だった。北野武が「ハリウッド映画の暴力は痛くない」と述べていた覚えがあるが、スピルバーグのは痛い。俺はこれを「リアリティや悲劇を伝えるための手段」と取るより、「エンターテインメント性、サービス精神」と思いたいが、どうだろう。両立、かな。
・セックスシーンも二つあって、どちらも個性的だった。最後の方はとくにすごいな。まぐわい自体とは直接関係ないシーンを挿入して、何か曰くありげに思わせる。しかし、もしそれを想像しながらしたということなら、中折れしそうなものだが。それでもやっぱり男はセックスしたいのだ。なんか悲しくてもしたいとなったら立つよね?
イスラエルかアラブか、だけで終わらせないのが「パパ」の存在だろうか。ファミリー、そしてホーム。吹き替えの方(字幕のあとになんとなくまた見返しつつある)では「ホーム」を「祖国」と言ったりしているけれど、そこのあたりも考えさせられる。
・字幕、といえば、登場人物が何語でしゃべっているのか、少々複雑だった。ユダヤ人同士ならヘブライ語じゃあないのか。ヘブライ語→英語(商業上の理由)としても、急にヘブライ語で相手にわからないように話したりと、まあ、気に掛けても仕方ないが、リアルな映画だけに少々。
・単純にスパイもの、暗殺ものとして観たら? それも十分オッケーなんじゃあないだろうか。手に汗握るスリルとサスペンス。やがて暗殺者自身がまた標的となり、疑心暗鬼に溺れていくさまなどはもう、身震いするくらいだ。それと、爆発シーンも、またこれすごい迫力。
・無駄がない。余計なものがない。ともすれば淡々と。カタルシスも、ない。ただ、完成された、もっとも完成された風景に収束される。
・イントロダクション(といっても終わったあとに見たが)で、監督のスティーブン・スピルバーグの言うように、タフなサブジェクト、ディフィカルトなイシュー。ユダヤ人とアラブ人だけの問題だろうか。「他人事ではないのだ」と言い切るのが国語の解答用紙上の正解なのだろう。でも、正直、彼らの何千年もの歴史、そこにどこまで日本人の我が身が共感したり、あるいは反発したりできるかというと、自信はない。ただ、自信がないことを自覚しよう。
・復讐と憎しみのスパイラル、恐怖が恐怖を増大させること。かといって、「PLOだ!」「ETAだ!」(スイスのムーブメントメーカーかと思った。うそ)の寸劇(ルイは意図的に鉢合わせさせたのか?)のように、殺し合わなくて済むとは限らない。しかし、そういったわずかなチャンスで語り合えたとしても、だ。