山本圭一の帰らざる帰還について

 昨日買った東スポの一面は、極楽とんぼ山本圭一欽ちゃん球団の興行に顔を出したというのはスポーツ新聞も取り上げていたが、こちらは独占インタビューつき。話す内容は、立場なりの神妙さと慎重さが感じられるものであった。が、しかし、写真を見てこう思った。「全然反省の色が見えない」と。その理由は簡単なもので、「太ってんじゃん」。
 これはもう俺の、完全に低レベルな思いこみ、すなわち反省=やせる、悩む=やつれるという単純な図式から来ているにすぎない。生活の基盤を失い、人から後ろ指さされ、月数万円の生活をしているなら、もっとやつれてみせるべきじゃないのか、と。もちろん、写真の写り方なんてのは、ちょっとした塩梅でいくらでも見え方が違うものだし、服を脱いで油を塗れば、油谷さんのころとは雲泥の差かもしれない。それでもまあ、もっと髪切ってやつれ演出をすべきではなかったのか。
 演出といえばなんだが、太ってる人と痩せている人の心証というのはどんなものだろう。たとえば裁判などで、太ってるやつの方が反省していないように見られる、なんてことはあるんだろうか。アメリカなどの弁護士は、服装や髮形にまで指示を出すというが、そこらあたりのデータも持っているかもしれない。来る裁判員制度導入に向け、われわれも人を見る目についてよく自覚すべきではないか。
 で、復帰するんだろうか。まあ、芸能界なんてのは山本以上のことをしでかしながら、平気な顔して戻ってきてる奴も多い。吉本の上の方の芸人がちょっと言えば帰って来られるだろう。が、しかし、帰ってきたらきたで、すぐに調子にのりそうなのは目に見えている。だからなんだ、ということだ。そこで俺は、山本がこのままの方が面白いように思える。なんとなく不在感を感じさせ、完全に不在になりかけると、ひょこっと欽ちゃん球団あたりに顔を出す。あの人は今を持続する芸人。目に見えない芸人の誕生だ。これからの不在に期待したい。