二つの飾り慈悲が行く

 通勤途中、いつも見かけるバスがある。養護学校の大型バスだ。通勤時刻の誤差はおおむねプラスマイナス五分といったところだが、いつも同じ交差点で前を横切っていく。あまりにも遇う確率が高い。
 車体には「かざりじひ」と書いてある。「飾り慈悲」とは深い意味がありそうだ。それはなにが意図された言葉だろうか。飾られている慈悲だからといって、本質が慈悲でないとはいえない。飾ろうという意図なくして慈悲に見えるものもあれば、飾ろうとして慈悲には見られない慈悲もあるだろう。私はやさしく発狂して、社までの最後の時間を歩く。

 ある朝のことだ。また、目の前を「かざりじひ」のバスが通り過ぎていった。そして、我が目を疑った。車列の数台後ろから、もう一台「かざりじひ」のバスが来たのだ。「かざりじひ」は複数あった。最低でも二台以上あった。ああ、あれらバスは養護されるものたちを乗せ、どこから来てどこに行くのだろうか。たぶん、聖坂に行くと思う。
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上野顕太郎の帽子男、「とくだいじはなのぞようちえん」は傑作だったな。