寝不足の朝歩きながら考えたこと2

 たとえば大仏という言葉をどう英訳するかという問題になったとして、大仏は固有名詞的大仏だとして「DAIBUTSU」でいいとするのも一つの考えだが、大仏には固有名詞的でない要素が含まれているのでビッグだかトールだかラージだかグレートだかジャイアントだかのブッダですということにしたら、やはり選ばれた語句から大の字が持ついくつかの要素は失われ、仏についてもそっけなく物質的な像、スタチューという要素が失われてしまうわけであって、それもまた残念な話である。そう考えてみると、我々日本人が漢字というものを中国から拝借してやろうという判断はまことに大英断の中の大英断であって、こんな風に他国語のいいとこどりをした例など他にあろうかと思うも、文字のない言語が表音文字を得ることはいいとこどりに他ならないかもしれないが。あるいはこれも日本語と漢字の立場から見て英語に難癖つけているだけであって、まったく逆のことは当然成立しうるはずであって、それ以前に俺が大仏の二字の何を知っているかといえば、単に知っているような気になっているだけに過ぎず、なぜテレビが映るのかわからぬのと同じように、なんとなく言葉を使っているに過ぎないという事実に向き合わなければいけない。DAIBUTSUやだいぶつであってはいけないが、やまとことばで大仏をあらわすのもおもいつかない。