床屋は人間を刈る

 先週の土曜日に髪を切った。髪を切ったのは……、あれ、日記に記述がない。昨年末以来だ。横浜に越してきて以来、ずっと桜木町の床屋を利用していて、非常に雰囲気がよく気に入っていたのだが、ピアスを落とされる一件(id:goldhead:20060530#p3)があって、「考えてみればこのように雰囲気のいい床屋に、ピアスで茶髪の若者が行くことは店にとって迷惑だ。歓迎されざる客だ。ピアスは外しておくべきだったし、自分はそもそも行くべきではなかった」と判断するに至り、また別の床屋を開拓(id:goldhead:20060801#p2)。しかし、その店でもやはり若者は歓迎されていないような気になり、また新たに開拓する必要に迫られた。美容院に行くくらいなら、剃髪して仏門に入る。
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 で、土曜の休日出勤の前に、石川町駅の近くの床屋。分割料金でカット千五百円とあったので、カットだけでいこう、と。で、入ってみたらおそらく夫婦でやっている昔ながらの床屋。席二席。鎌倉にいたころ通っていた、三千八百円コースのような店だ。なんとなく、カットだけ千五百円というのが悪いような気になる。しかも、スピード散髪などと違って、奥さん、実に丁寧にやってくれて、実に申し訳ない。しかし、財政的に顔ぞりとシャンプー上乗せというわけにはいかない(カットと顔ぞり、シャンプーの値段設定がおかしいようにも思える。カット二千円で他二つを安くした方がいいのではないか)。かといって、「早く終わらせてください」というのも、なにやら料金からスピードカットと見下しているように思え、口に出来るはずもない。
 ……そうやって勝手に悩んでいると、なんと話しかけられた。開始と同時に目をつむり、「僕は話は苦手です。ひきこもりますよ、話しかけないでね」の意思表示をしていたのに!
「こちらにお住まいですか? 長いんですか?」
―「や、山手の方に、一年か二年くらいです」(一年と二年でわからん奴おらへんやろ。正確には三年くらいだと思う)
「寮か何かですか?」
―「アパートです」(寮って、俺は何の寮に入るような人間に見えたのだろう?)
「今日はこのあとどちらに行かれるんですか?」
―「仕事です。関内の方で、歩いていけるんですよ」(遊びに行くのではなく、残念な話です……というニュアンスを出そうと引きつった笑顔を演出しようにもうまくいかず、くぐもった声で)
「まあ、こんな時間に?」
―「いや、休日ですから……」(もしも俺が無職で、さっきの嘘だったらどうするんだ。そんなに突っ込まないでくれ。休日出勤前に散髪って、ありえる話ではないのか?)
「まあ、休日出勤。どんなお仕事なんですか」
―「ええ、デザインみたいな。でも、お役所相手が多くて……」(そこまで突っ込むのか。無職時代に何も話さない床屋行っててよかった)
……
 などと、ボソボソと世間話のようなことをしていると、犬が俺の足のにおいを嗅ぎに来た。いや、でかい犬が店内にいるのは気づいていたのだ。そのでかい犬(犬種のことなど知らないが、ブルドッグのようなやつ)が、のそっと動いて足下に来たのだ。普通、ありえないシチュエーションではないですか。俺は、これをスルーするかどうするか悩んだ。犬がここまでアクションしているのに、リアクションを取らないのはおかしくはないか。初めて来た客だから、飛び上がったり……したら危険だが、せめて話を振るのが当たり前なのではないか。そう思って、初めてこちらから。
「ぉ……、大きいですね。どのくらいあるんですか?」と。
すると、奥さん隣で別の客を散髪中の旦那に向かって、
「ねえ、何歳だっけねえ」と。
いや、大きさ、体重のつもりだった。いや、もう、でも、途中で気づいたりして、二十キロくらい? みたいな。ぐだぐだだ。いや、犬の話に振ったのはとくに意味がなかった、スルーでよかった。ああ、それにしても、こっちは千五百円しか払わないんだ、そんなに丁寧にやらないでくれ。悪かった、顔ぞり、シャンプーなしなのは悪かった。色白をほめられても、「夏、赤くなっちゃうんですよ」くらいしか話題の引き出しはないぞ。ああ、こんななんか、ちょっとかっこよさげにしてもらっちゃって、すみません、すみません。
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 ……というわけで、やはりどこかスピードカットを探そうっと。しかし、人間の本性は床屋によってはかれるのではないか。企業など、身辺調査で両隣の家に電話を掛けるくらいなら、そいつがどんなところで髪を切っているか調査した方がいいんじゃないのか。おしゃれな美容院でおしゃれ美容師とおしゃれ会話が弾む人間は、女にモテ、仕事ができる、社交性に富んだ人間だ。合格人間だ。一方で、床屋での会話すら恐れ、うまくできず、無言を求めてさまよう者は、女に非モテの、社交性ゼロの、定収入の虫けら底辺人間だ。これはかなりの確率で正しい。面接官よ、切られた髪を見る前に、髪を切られる時のその者を見よ。